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ラーメン、条件、護送船。

ある日曜日、私は代官山のカフェで大学時代の友人3人と会話を楽しんでいた。

注文したドリンクやらご飯がパラパラとテーブルに運ばれ始めた時、誰かが

「最近何してるの?」

という、学生時代の友人との久しぶりの会話トピック界不動の第一位の質問を投げかけた。

一人がこう答える。

「いや〜、もっぱらラーメンだな。」

別の一人がこう返す。

「お前はいつもそうだろ。」

すると最初の回答者、つまりラーメンバカがこう言い返したのだ。

「いやいや、だって今日から見た最近も、いつかから見た最近も、その時の"最近"なんだからいいじゃんか。」

なるほど、確かに。

これは私の心根である。

だって、確かにこのラーメン大好き同窓生の言い分はなんら間違っていないのだから。

◇◇◇

私たちは日常の会話において、しばしば無意識のうちに「撮れ高」を求めているようだ。
今回のような友人との軽い雑談中でさえ、話題の新鮮さや面白みを意識してしまうのだ。

例えば、今回のように一度話したトピックを再び持ち出すことを避けたり、あるいは話の途中で「この話、オチがないな」と感じたりすることがある。

つまるところ私たちは、ただ事実を話すだけではなく、何かしらの面白みや意外性を加えたいと思ってしまうのだ。

今回の場合、最近の出来事について尋ねられたのだが、その質問の背後には、

何か新しいことをしているのか?

新鮮な話題はあるのか?

という期待が隠れていたのかもしれない。
少なくとも、一人の頭の中ではそうだったようだ。

◇◇◇

ここで、今回の友人同士の言葉のラリーにおけるいくつかのポイントについて整理をしたい。

まず一つには、ラーメン大好き同窓生の言い分は全くもって正しく、さらに言うと、新規性のあるテーマを持ってくる必要は、友人同士の会話では必ずしもないのではないか、ということ。

そしてもう一つ重要なことは、何か新規性のあるトークが期待されているということが、暗黙のうちに条件になっていることそれ自体が "フリ" になって、ラーメン大好き同窓生の無邪気な発言へのツッコミが爆誕したことだ。

つまり、会話に対する事前の期待という条件によって、ボケのつもりで発信されたわけでもないセリフがボケになったのだ。

そして最後にもう一つ、これまた重要なポイントは、このような雑談中のちょっとした笑いや展開は、全員が全員を信頼しているからこそ生まれるエンタメだということだ。
それもそのはず、その場にいる全員がスピーカーであり聴講者なのだから。
誰がスベッても連帯責任。すぐに護送船をよこす。

今回の会話におけるツッコミも、それに対する自論の展開も全て、「この場を楽しく過ごしたい」というこれまた暗黙のうちに皆の間で共通となっていた意識があってこそ、出てくるセリフだったのだ。

で、結局のところ私は何が言いたいのか。
それは単純に、こんな他愛もない雑談の中に潜む、偶発的で無垢なおもしろさがたまらなく好きだ、ということだ。

この日は4人で仲良くラーメンを食べて帰った。

では、また。

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