ストン!とふに落ちて。
本文/挿絵・ゆきふる
書評・フジカワ ハルカ
ご挨拶
はじめに、本書を手に取っていただき、ありがとうございます。
こんにちは、ゆきふるです。
いつも記事の冒頭に添えているこのご挨拶も、今回はなんだか身の引き締まる思いで書いています。
noteを始動し、最初に自己紹介の記事を書いた時からはや2年が経ち、不定期ながらも、こうして継続的に自分の言葉を発信することができていることに感謝する日々です。
読んでくださる方、いつもありがとうございます。
そして初めて私の文章を読まれる方も、少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
vs 無個性(アイデンティティクライシス)
改めて、私という人間について、書きました。
テーマは「vs 無個性(アイデンティティクライシス)」。
私のこれまでの人生を振り返ると、そのほとんどの期間において常に
「自分ってなんだろう」
「自分の個性ってどこにあるのだろう」
「何者でもない自分が嫌だ」
そんな疑問や不安を抱いていました。
同じような気持ちになったことのある方は少なくないと思います。
これは私が、私という人間について、ストン!と腑に(ふに)落ちるまでの旅の記録です。
自分の内側から出てくる言葉たちを、文章にして発信させていただく中で、改めて自分について、そして自分の発信する内容について整理してみたい、という思いが強まり、今回このような記事を書くことにしました。
というよりも、気がついたら書いていました。
???
(詳しくは序章にて語っています。)
本書は、
自分をもっと理解したい
今まさにアイデンティティクライシスに陥っている
自分を表現したいけれど最初の一歩が踏み出せない
そんな方に、読んでいただけたら嬉しいです。
とはいえ本書は、「こんな風にしたら成功します!」といった指南書ではありません。
そういったテクニカルで即効性のある内容はもっと実績のある方に譲ります。
これは、私の経験に基づく随筆(エッセイ)です。
あくまで私なりに、これまで通りちょっとした発想の転換(私は勝手に“世界の再解釈”と呼んでいる)につながるような、“柔らかい処方箋”のような文章 を目指して、エッセイの域を出ずにつらつらと語りたいと思います。
ここ2年近く、文章による発信を主な自己表現の手段として、ある意味精神の安定に活用しながら人生を送る私から、「ちょっとでも参考になればな」との思いで。
もちろん、本書も、私自身の自己表現の対象に他なりません。
それはそれは、好き放題に書いています。
本書を通して、25年間、この世界で生きてきた私ゆきふるという人間に、「あなたはこんな人間だよ」と伝えてあげたいのです。
*
忘れもしません。
小学校卒業の日、6年間を締めくくる最後のホームルームでのこと。
みんなでクラスメイトのいいところをシェアしましょう!という内輪激アツ企画が開催されました。そこで私がクラスメイトからいただいた評価は、
非常に複雑な気持ちになりました。
こんなに一緒に過ごしてきて、最後の最後にこんなことを言われてしまう自分って、一体なんなんだ?と。ただ、返す言葉はありませんでした。
私はこういう人間です!
と自信を持って言えるものがなかったのです。
思えばこの時から、私の果てのない自己理解の旅は始まったのかもしれません。
それ以来、自分についてあれやこれやと考える中で、何度か、ストン!と腑に落ちるような瞬間がありました。
本編にて詳述しますが、自分という人間は実はものすごく人間味溢れるキャラの立った人物であるということを、後々自覚することができたのです。
かつてのクラスメイトに教えてあげたいくらいです。
読者のみなさんにも、ぜひ自分自身とコミュニケーションをして、あれやこれやと考えてほしいな。そう思っています。
もちろん、私もまだまだ道半ばですので、是非とも一緒にこの旅を楽しみましょう。
また今回、本書『ストン!とふに落ちて。』を公開するにあたり、私の学生時代からの友人でもあり、私と同じく"書く"表現を大切にされているフジカワハルカさんに書評をいただきました。
学生時代からの縁に想いを馳せ、そして思慮深い書評を記してくれたフジカワさんへの感謝を述べるとともに、彼女と、そして私のコトバが多くの方に届くことを願います。
それでは、一緒に自己理解と自己表現の旅に出ましょう!
合言葉は、 “ストふに!”
書評 (文・フジカワ ハルカ)
人生における1個のマイルストンになる——。
まさに言葉の通り、全体を通してゆきふるの芯に触れる本エッセイ。ゆっくり味わいながら、何度も読み返しました。過去の自分を見つめて、当時の気持ちを思い出し、書き残す。振り返るなかには苦い記憶も混ざっていたはず。まずは公開するその勇気と、ここまでの超大作を残したゆきふるを称えたいと思います。
少し話が外れてしまいますが、ゆきふると私は、大学時代のバイト先で出会った友人同士であり、いわゆる“書く”という共通点があります。そんな彼が、一人のライターとしてか、一人の友人か、今回わたしに書評を依頼してくれました。どんな理由であれ、時が経ってまた出会えたことが純粋に嬉しく、このような機会をくれたことに、まずは感謝したいと思います。本当にありがとうございます。
再解釈のきっかけに
さて、彼は本書のなかで「何を考えているかわからないミステリアスくん」と呼ばれた過去を明かしていました。ミステリアスとは、ある辞書によると「神秘的な」や「謎めいた」という意味を持ちます。たしかに、私からみた彼の第一印象も「不思議なオーラを持っている人」だったことを思い出しました。
“ミステリアス”だけではなく、私たちは多くの言葉に対して、ある一定の共通イメージを持っています。一方で、細かいところの定義については人それぞれで少しずつ違う。もちろんそれは当たり前のことで、価値観が違えば、感じることもそもそも違います。
文書冒頭で登場した、彼の小学校のクラスメイトの一人が放った“ミステリアス”という言葉も、もしも、他のクラスメイトだったら全く違う表現だったかもしれない。誰かにとってのミステリアスは、誰かにとってはそうではない。
「!?! あれ、この気づきこそはまさに再発見ではない?」
読んでいる途中、そんな瞬間がありました。彼の文章には、まるで彼の言葉との付き合い方をインプットするように、読者である私の、言葉一つひとつへの感性を鋭くしてくれる力があるようです。おかげで、たくさんの言葉に再会し、改めてその意味と使い方について考えることができました。
言葉と誠実に向き合ってみよう
そんな話をすると、なんとなく言葉を使うのって難しいな、という気持ちになると思います。ただそこで注目してほしいのが、彼の向き合い方です。
「気がついたら書いていた」——まさに書くこととの“距離感”を示しているこの表現。言葉との距離が非常に近く、友だちを信頼するように、彼は多くの言葉を信頼しているのだと思います。
言葉を自由に使って、のびのびと遊び、淡々と自分の世界観を創り上げていく。そんな感覚をうらやましいと思ってしまうのは、きっと私だけではないでしょう。
ただしその裏側には、彼の持つ“誠実さ”があってこそだということを本書を読んで知りました。あらゆる事象に、そこから生まれる感情に、普段から誠実に向き合っているからこそ、独自のコトバやリズムが生まれているのです。
うれしかったことも、悲しかったことも、全ての感情は時間の経過とともに薄れてしまう。二度と戻らないあのときの、あの瞬間、あの感情。ゆきふるは、記録を怠ってしまう人が多い世界で、アーカイブの方法のひとつとして、“書く”に可能性を見出すひとりです。
忘れたくないこの瞬間を、あの感情を、できる限り忘れないでいるためには?
まずはペンを走らせてみましょう、思いつくままに。なんでもいいから。
それでも、うまい言葉が見つからないんですが……!
そんなときには訪ねてみましょう、彼の「コトバンク」へ。
もしかしたら彼が見つけてきたタネを、特別に教えてくれるかもしれません——。
・・・
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。最後になりましたが、学生時代の友人、ゆきふるの新たな表現活動を応援するとともに、本書をお読みになった方々が、コトバを通してストン!と腑に落ちる、そんなユニークな感覚を味わえることを願っています。
フジカワ ハルカ
▼フジカワさんのX
序章 自動詞で生きる
2023年、10月上旬―
こんにちは、ゆきふるです。
寒いんだか、暑いんだか、よくわからないような気候に振り回されているなうです。
地球に、あるいはこのなんとも煮え切らない気候に対し、意味のない文句を言いながら、ふと思い立って筆を取ることにしました。
ただ、今決まっているのは、“書く”ということだけ。
中身は、書きながら考えようと思っています。
???
不思議な気分です。
ここ1年くらい、不定期でnoteにエッセイを書いてきましたが、書きたい題材が先に頭に浮かんでそれから夢中になって文字に起こす、というのが常でした。
ただ今回は、先に“書く”ということだけが決まりました。
ごくたまーにあるんですよね、この逆転現象。
例えば、“創る”。
何かを創りたい、ただ“何を”創りたいのかは具体的に浮かんでいない。そんなことがあります。それで、終わってみると何かしらの絵を書いていたり、あるいはアクセサリーなんかを作っていたり。
創るも書くも、いわゆる他動詞ってやつで、“何を”にあたる目的語がなければ、ほんらい文意は通りません。
あまりアカデミックで退屈な話をだらだらとしても仕方がありませんが、ただ、これはあくまで日本語というシステムのお話。
では英語の場合はどうでしょうか。
日常の英会話の中で「write」が自動詞として使用されるケースについて、以下のやりとりを例に挙げてみます。
友人A: “Hey, what are you up to this weekend ? ”
(ねえ、今週末何してるの?)
友人B: “I'm planning to just write. Got a lot on my mind.”
(書くつもりだよ。考えることがたくさんあってね。)
上の会話では、友人Bは「write」という動詞を自動詞として使用しています。彼は「何を書くか」ではなく、単に「書く」と言っているのです。これは、具体的な対象を指定せずに「書く」という行為そのものを表しているため、自動詞としての使用ケースになります。
彼は作家なのか、脚本家なのか、あるいは日々レポートを作成する学生かもしれません。ただ、友人Aと友人Bの間では、「何を」の部分が省略されても会話が成り立つくらい、友人Bと「書く」という動詞との密接性が両者間で共通認識化されていると言えます。
つまるところ、私の脳内では、改まって“何を”書くかということを考えずとも、“書く”ということだけが決まった時点で、“何を”の部分は自ずと定まっていたのかもしれません。
現に、私の脳内ではただ“書く”ということが決まっただけで、こうして文章を綴り始めることができています。
本書を書き切ったその時、この答え合わせをしたいなと思っています。
???
答えも何も、今何も書くことが浮かんでいないのではなかったのか?
そうです。
ですから、答え合わせという表現は適切ではないかもしれません。
本書を書き切ったその時、
「なるほど、私はこれが書きたかったのか。」
と、納得することができたなら、私にとって“書く”は晴れて自動詞になったということにしたいと思います。
同10月下旬―
一つ、言わせてください。
上記の通り、ふわふわした気持ちのままこうして文章を綴っていますが、今すごく楽しいんです。
秋風が窓を強く叩いている、ただそれだけの、何気ない光景にも微笑んでしまう。
脳みその端の方に押しやっている、いくつかの困りごとをふと思い出し、それでも気分が下がることもない。
いつもは呆れ果てている、自分の非力さにも目を瞑ることができる。
そのくらい、とにかく今、書いていて楽しいです。
もう動機はそれだけで十分です。
段々と、私が本書で“書く”内容が見えてきた気がします。
おそらく、私の25年間の人生の集大成になるような、そんな文章になると思います。
同11月中旬―
大方の内容を書き終えました。
一つ、言わせてください。
「なるほど、やっぱりね。」
本書の主な内容
私(ゆきふる)が発信活動を始めたきっかけ、続ける理由、これまでの歩み
自己表現を通じて自分自身をもっと理解し、受け入れてきたプロセス
自己表現をするために大切にしている要素
コンテンツを生み出すプロセス(私の自己流全開)
※本書の内容はあくまで私の個人的な見解ですので、その点をご了解の上で、一つの読み物として楽しんでいただけたらと思います。
本書の構成
第一章「出発地」では、現在の私という人間について改めて自己紹介をさせていただきながら、例として中学3年生の頃の記憶を呼び起こし、自己理解、自己表現のルーツを探求しています。はるか過去の記憶に棲む自分という人間の出発点に思いを馳せながら。
第二章「変容」では、個人にとっての自己表現の変化とその重要性について、探求します。私自身の経験を振り返りながら、自己表現の過程での「産みの苦しみ」と、それがもたらす新しい自己発見の価値についてお伝えできればと思います。
第三章「波乱」では、私が自己表現の道の中で直面した葛藤と波乱に焦点を当ててみたいと思います。また大人になった私が改めて発信活動を始めたきっかけや継続する理由、自己表現を通じた自分の変化と成長を赤裸々に振り返ります。
第四章「自分という小世界」では、私が発信活動をする際に意識している「コンセプト、材料、編集」という3つの要素のうち、特に「コンセプト」についてご紹介します。自分のコンセプトを明確にし、具体化することの重要性とそのアプローチについて語ります。
第五章「コトバンク」では、自己表現のための構成要素の1つである「材料」について説明します。材料は、日常生活での観察や体験から得られるアイデアやテーマで、これらは私の「コトバンク」というアイデアのストックに蓄積されます。このコトバンクは、日々の出来事や過去の記憶を創造的な表現に変換する脳内銀行のようなものです。
第六章「綾」では、自己表現の際に私が意識している3つの概念「共感、差分、相関図」について説明します。これらは、創作活動における潤滑油のような役割を果たし、コンテンツをより魅力的にするために重要になると考えているものです。
第七章「塩コショウ」では、自己表現のための要素として、料理で言うところの「調味料」、つまり表現方法について説明します。表現技法は多種多様ですが、なかでも、他でもない私が特に重きをおいているメタファー(比喩表現)と皮肉・ユーモアの使用についてご紹介します。
第八章「つくるはほどく」では、自己表現のための最後の構成要素である「編集」に焦点を当てます。編集は、集めた材料とコンセプトを融合させ、共感を呼ぶコンテンツに仕上げる重要なプロセスです。このプロセスは、表現者が内面の声を外界に向けて発信し、受け手と深い共感を共有するための手段になります。
第一章 出発地
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