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なぜ、書くのか。

「ねえ、きいてきいて。」

私が何かを書く時、こんな衝動的でわんぱく的な感情に突き動かされているような気がします。

それはまるで、子どもが親や学校の先生に訴えかける時のような。

それくらい本能的に、「書きたい」「聞いてほしい」という感情が湧いてきて、筆を走らせていることが多いのです。

今もまさにそう。


文章を書く、ということを始めてから長い時間が経ちましたが、

自分はなぜ文章を書くのだろうか?
なぜ、何かを表現するのだろうか?

そんなことをひたすらに考えてしまうことがあります。
書くということを始めて以来、ずっと思ってきました。


一つには、書くことで自分の個性を出したい、その他大勢ではなく一人の粒だった人間として何かを発信したい、という想いがあると思っています。
存在の証明です。

ただこれに加えて、"感情の代弁をしたい"という想いがあって、何かを表現するに至っている自分に気がつきました。

これが今日のテーマです。

◇◇◇

先日、2024年2月21日発行の「an・an No.2385 増刊号」を拝読しました。

その一つの企画で、言わずと知れた名俳優・有村架純さんについて特集されていたのですが、そのわずか数ページから有村さんの"想い"がひしひしと伝わってきて、とても感銘を受けました。

特集の中で有村さんは次のように語っています。

ふと台本の中で「あ、この感情を知ってるな」と出くわすことがあります。

(中略)

こうしてお芝居をする仕事をしているから、私はその感情を昇華することができるので、つくづくお芝居に助けられているなと思います。

「an・an No.2385 増刊号」p70  

有村さんの俳優として、ひいては人間としてのフィロソフィーが染み出しているようなコメントだなと感じます。

お芝居の世界の第一線でもう長いことご活躍されている有村さんは、日頃感じる"想い"、感情を大事にして、何かを演じる上でもその感情をうまく昇華されているからこそ、あんなにも魅力的なお芝居をされているのだな、と大変納得しました。

おそらくですが、それは誰かに言われたからそうしているだとか、俳優としてテクニカルに意識してそうしている、ということではないのかな、と記事を読んでいて感じます。

いわば、衝動

こんな感情を体験したから、お芝居に乗せて届けよう。

そんな衝動に突き動かされているのではないでしょうか。


そして、私自身の生活に立ち返り、大変おこがましくも、同じような気持ちで文章を綴っている自分に気がつきました。

日頃の生活で感じた気持ち、感情をどうにか残したい、そうすることで誰かに共感することができるのではないか、そんな内なる想いを自覚しました。

エッセイなんかするような人はナルシストである!

とはよく言われますが、実際エッセイをずっと書いていて、その自覚はあります。

ただナルシストというのも厄介なもので、ただ自己を顕示するだけでは満たされないのです。

文章で誰かに共感できる存在になりたい。

自己顕示欲よりも大きな感情に、衝動に突き動かされて、今日も筆をとります。

では、また。

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