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苦手だったビジネスメールが少し好きになった日の話

私は2021年に大学を卒業し、社会人になってからもう3年以上経ちます。
この3年間、いわゆるクライアントワークをしてきたのですが、その中で本当に多くの人と仕事で関わりました。

それこそ、交換した名刺の数は数え切れません。
最初はなんか儀式的で好きじゃないなと思っていた名刺交換も、徐々にその奥深さというか、意味みたいなものを感じるようになりました。

これはかなり独特な感覚な気もしていますが、互いに名刺を渡し合うあの行為について、私的に一つ好きなポイントがあります。

どんなに職階の離れた相手であっても、ほぼ同じサイズ、厚みの紙を渡し合うあの瞬間、実際には埋めようのない知識経験の差があるその相手と、対等にコミュニケーションをとれているような感覚になるんです。
そう思いたいだけなのかもしれませんが。

今後より一層、名刺などの紙媒体を使ったビジネスコミュニケーションが電子に置き換わっていき、私のこの感覚は遠い先の世代にとっては到底理解不能な古びたものになるかもしれません。
だからこそ、言えるうちに言っておきます。
私の感覚は、私だけのものですから。

◇   ◇   ◇

社会人をやっていて変わったことが、もう一つあります。
それは、これまた社会人必須のコミュニケーション、ビジネスメールに対する意識です。

多くのビジネスパーソンが、毎日当たり前のようにメールを送受信していると思います。
一生の間に作成するビジネスメールの数は、途方もなく多いでしょう。

私は名刺交換同様、このビジネスメールを作成、送信する作業が好きではありませんでした。
というかはっきり苦手意識を持っていました。

当時の私は、メール作業ってなんだか「ザ・地味作業」という印象で、これ自体にクリエイティビティをあまり感じないし、メール作成を任される窓口担当って、なんか下っ端って感じでモチベーション上がらないなあ、なんて思っていました。

そんなある日、プロジェクトでお世話になっていた協業者の方から一通のメールが届きました。
それは心のこもった、長文のメールでした。
内容としては、そのメールが届いた前日にプロジェクトとして取り仕切ったイベントに関するお礼の文章でした。

メールをくれた方は、その方の所属する組織の中ではかなりえらい方で、私が気安く絡みにいけるような相手ではありませんでした。
しかし、そのメールには私を含む関係者全員への敬意や感謝の言葉が並んでいて、読むだけでその方の人柄、視野の広さ、人間としての魅力がどーんと押し寄せてくるようでした
ビジネスメールを読んでいて胸が熱くなったのは、後にも先にもその時だけです。

ビジネスの世界には、こんなにもひとを見ている人がいるんだ。
こんなにも「言葉」を持っている人がいるんだ。
一通のビジネスメールにこんなにも心を込める人がいるんだ。

メール作業を軽んじていた私は、自分に対しとてつもなく不甲斐ない気持ちになりました。

同時にすごく納得もしました。
その方は、所属する組織の後輩たちからとても慕われていて、イベントの最中もその方を中心に見事なチームワークを見せていました。
そして何より、イベントが終わった帰り際、その方を後輩たちが囲んで打ち上げの飲み会へと向かっていく様は、理想的なリーダーとチームの姿でした

多分、メールを一通書くだけなら、やはり大して骨を折る必要は無いんだと今でも思います。
それよりも優先すべきことは、いくらでもあるでしょう。
ただ、そこで妥協しなければ、受信者の心を動かす手段にもなりうるのだということは、今なら実感を持って言えます。

こうして文章を書いたり読んだりすることを自分の生活の一部としている人間としても、「そんなに言葉や文章が好きなら、メールも本気で書けよ」と言われているような気がしました。

どんなに地味な作業でも、ただこなすだけの流れ作業にしてしまうか、そこにプライドを持って取り組めるか。
その地道な積み重ねの先に、あの理想的なチームの後ろ姿があるのだなと思います。

ビジネスパーソンたちは、それぞれの価値観を大事に、今日も働きます。
では、また。

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