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本当にかっこいいというのは、スタバでマックを開くことではなく、自炊することである。

都内のそこかしこに店を構える、オシャレとカフェインを求める者たちの聖地、スターバックスコーヒー。
そこで颯爽とマックブックを広げる瞬間は、まるでおしゃれな儀式のようなもののように感じる。
しかし、それが本当にかっこいい行為なのか、私には少し疑問が湧いてくる。
なぜなら、本当のカッコよさは、スタバでマックを広げることではなく、キッチンで包丁を振るうことから生まれるからである。

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我々は時折、スタバのテーブルでマックを広げることによって、自分自身を、一瞬だけでもおしゃれ空間の象徴たるカフェ文化の一部に感じたりする。
でも、本当のカッコよさは、いかに素敵なカフェで時間を過ごすかではなく、どれだけ自分の手で料理を作ることに対する意識を持っているかにかかっていると、私はそう思うのだ。

だって、家で自炊することは、まるで魔法のようなアクティビティではないか。
各食材、調味料を適切な分量、時間を考慮しながら調理していく。しかも熟練された自炊の達人であれば、それを当たり前のようにこなす。他の家事もこなしながら、すべての動作の時間配分が完璧なのだ。
もちろん、その魔法の背後には、実際にはちゃんとした美味しくて健康的なレシピを追い求める地道な努力や、時には失敗もあるだろう。
ただその失敗から学び、次回はより美味しい料理を作る方法を見つけ出すことこそ、本当のカッコよさと呼ぶべきだ。

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さて、ここで読者の頭の中には、次のような疑問が浮かび上がることだろう。
なぜ、スタバでマックを広げることよりも、自炊がカッコいいのか、と。
それはずばり、自分の食事を作ることが、自分の生活それ自体を大切にする行為であり、自分の健康や幸福を意識的に追求することに繋がるからである。
これに対して、スタバでマックを広げることは、あくまで一時的な楽しみ、愉悦なのだ。
確かに途中までは順調に作業を進めることができるかもしれないが、気がつくと大体YouTubeを見ていることだろう。なげかわしい。自炊の達人はこの間に一品、あるいは二品作り置きを作り終えている、というのに。
スタバでマック勢は、一見クールに生産的な活動をキメているように見えて、自炊勢からの二点プレーを浴びせられているということに、残念ながら気がついていないのだ。

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話が脱線したが、要するに、本当のカッコよさは、自分の生活を大切にし、自分自身を満足させることにある、と私は思う。
全員お気づきの通り、スタバでマックと自炊は比べるに値しないタイプの異なる活動であり、そこには本来的には対立構造など存在しない。スタバでマックした後に早めに帰宅して自炊する者あれば、盛大な拍手を送る。
だが、敢えて私は、スタバでマックよりも自炊の方がかっこいいと言わせてほしい。だって「かっこいい」のアイコンをより我が物にしているのはスタバでマック勢であるように思えるのだもの。そうじゃないよ、当たり前のように自炊をテキパキこなす人の方がかっこいいよ、と言いたいのである。
また、カフェで過ごす時間も楽しいが、自分の手で作る料理には特別な満足感と充実感がある。
スタバでマックを開くこと自体、何も否定しないが、自分のキッチンで料理を作りながら、笑顔で食べることにこそ、優しくて本質的なかっこよさが、宿っていると思うのだ。

以上が、常日頃、自炊を怠ってスタバでマックを広げまくっている私の後悔と懺悔のエッセイである。
自炊しよう、我。

では、また。
※スタバでマック、全然いいと思います。

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