見出し画像

車間距離と異文化理解

週末、家族でカルフールに買い物に行った帰り。
夕方の車の多い時間帯、中国人の夫の車間距離が妙に短い。
ちょっと、気を付けてよ~~~、
と思っていたら、急ブレーキ。

ひやっ!

「だから、車間距離取ってって言ったじゃない!」

思わず苦情モードになるわたし。

「いや、前の車が急に車線変更して」

と、ボクは悪くないモードの夫。

「だから、前の車が急ブレーキ踏んだとしても止まれるよう、
 車間距離開けとかなきゃでしょ。
 前の車が急にどうなるかはこっちでコントロールできないんだから、
 前の車がどうなっても、ぶつからない距離取っとかないと
 危ないじゃん!」

とすっかり説教モード。
沈黙する夫を前に、
言いたいことを言ったわたしは頭の中で考えを巡らせはじめる。

しかしいや待て。
わたしは怒っているけど、この車間距離は、中国では普通の範囲内かも?
夫もやや急ブレーキをかけたが、別にぶつかったわけではない。
(まぁ、一回ぶつかったら終わりだけど。)
中国ではごく普通?の車間距離を取っていた夫に対し、
正論ふりかざして文句言いまくりのわたしって、
もしかしたら相当嫌なやつ!?

・・・もしかして中国人はこの距離感で怖くないのかも???

そのように思ったのは、初めてのことだった。
恐怖を感じると、冷静になんてなれず、
つい反応的にあれこれ言ってしまう。
中国人としてはどう感じているんだろうと考えてみたことは
今までになかった。
考えてみれば、車間距離というのも、ある種の習慣であり、
その社会全体が共通して持つ文化であるともいえる。

中国は日本と比べ、おしなべて車間距離が短い。
慣れるまで、車に乗るたびハラハラドキドキ、本当に怖かった。
中国に住んで17年、それなりに慣れたつもりではあるが、
それでもやっぱり慣れ切らない。
特にスピードが出ている時には、つい身体がこわばってしまう。

異文化理解と口で言うのは簡単だが、
実践するのは難しい。

車間距離の短さに恐怖を感じる時、
わたしが心の中で最後に行きつく場所、それは、

「この車に乗ったかぎり、死ぬ時はもうこの人と一緒に死ぬしかないな」

ということ。

そう思ってしまえば、もう怖くなくなる。
逆にいえば、そう覚悟を決めることぐらいしか
車間距離の短さに対するわたしの恐怖をなくす方法はない。
中国にもっと長く住めば、
異文化だった車間距離の短さが
自然に自分の中の文化として取り込まれるのかもしれないが、
死ぬまでにそうなるかどうかも不明である。

自分と異なる文化を真に体得しようとすれば、
死ぬまでに実現できるかどうかも分からないのだから、
気の長い話である。

相手の持つ文化を理解しようとしてもできない時、
恐怖や怒りを感じてどうしようもない時、
覚悟を決めれば、一瞬で世界は案外違って
見えてくるものなのかもしれない。

車間距離から、異文化、死の覚悟まで
つい行き過ぎるわたしの思考。

つまり、異文化理解は一生かかってもできるかどうか分からないけど、
愛は文化の差を一瞬で超える、という話でした(笑)。


↓次の記事はコチラ

↓前の記事はコチラ



↓ よろしければこちらの異文化理解シリーズの記事もどうぞ。

おもしろいなと思ったら、ぜひスキ❤お願いします!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?