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安斎勇樹は、なぜMIMIGURIを経営するのか?

2021年に合併し、2期目も折り返しを迎えた株式会社MIMIGURI。今年は初めてAdvent Calendarに挑戦し、本稿はその最終日を飾る記事です。

MIMIGURIの社会的展望については、共同経営者であるCo-CEOのミナベがまとめてくれているため、私は徹底した「自分主語」で、普段はあまり語らない、経営者としての内なる衝動について、記したいと思います。

組織なんて苦手だったはずの自分が、どうしてこうなった🤔

私は元来、どちらかというと集団に属するのが苦手で、協調性が低く、マイペースで、かつ極めて飽きっぽい人間なので、古くから私を知る友人たちからは「え、会社経営、本気だったの!?」「大学の副業だと思ってた」「会社行事とか、ちゃんと参加できてるの?」などと、よく心配されます。

たしかに言われてみれば、私には個人研究者やフリーランスのような働き方のほうが、自由気ままで、性に合っているようにも思えます。そして実際に、MIMIGURIという組織の経営は、やっていてめちゃくちゃ大変です。笑

60名という小規模のフェーズから事業を多角化し、横断組織を組成。さらには研究機関化し、競争優位性の源泉であるはずの"ノウハウ"を、すべて論文や書籍、CULTIBASEで積極公開していくスタンスをとっている。

研究開発本部が「中央」に配置されている、珍しい組織図

それゆえに、実践と研究のサイクルを高速で回転させ、絶えざる組織学習を重ねることが、MIMIGURIの生命線となっています。次々に新しい実践方法にチャレンジし、次々に新しい論文と本を書き、浸透し定着したはずの共通言語を次々に刷新して…。時空が歪んでいるのか?と思うほど、まるで半期ごとに別の生命体に生まれ変わっているように、変化が速く、激動で、混沌としています。

さらには多様な職能のメンバーと日々協働しなければならないため、こんなに維持に"学習と対話のコスト"がかかる組織も、なかなかに珍しいのではないでしょうか。

ミナベや小澤をはじめ、優秀な事業長や組織長たちがいなければ到底成立しないような、めちゃくちゃ"手のかかる会社"に着々と育っている。

これまで私は「いかにサボり、手を抜くか」「個人で自由に生きていくか」を考えてきた人間ですから、なぜこんな「人生HARDモード」を選んでしまったのか…と、自分でも不思議でなりません。

それにも関わらず、いまの私は、MIMIGURIの事業と組織の発展に100%のエフォートを費やして、すべてを賭けてコミットしている。

……なぜか?

それは当然ながら、このMIMIGURIという会社の経営の営みのなかに、しんどさを越える余りあるほどの喜びがあるからです。

言い換えれば、私のこれまでの人生の原体験によって形成された「衝動」が、MIMIGURIの経営によって満たされるからであり、今のところ、他の環境ではそれを満たせそうにないからだ、とも言えます。

本稿では、そんな私をMIMIGURIの経営に没入させてくれている、自分の核にある「3つの衝動」について、書き留めておきたいと思います。

衝動(1)"意外な才能"の覚醒を眺めていたい

高校時代の挫折によって目覚めた、ポテンシャルフェチ

私は以前から"ポテンシャルフェチ"を自称しており、人の眠っている才能が、何かのきっかけに覚醒する過程に対峙することが、大きな喜びになっています。以下は3年半前の取材記事。

この特性に気がついたのは、私が高校生のときのことでした。私は小中高時代をバスケットボールに熱中していた典型的な「スラムダンク世代」なのですが(映画最高だった)、高校1年の冬に左膝の半月板を損傷し、プレイヤーから退かなければならないことがありました。

手術して復帰を試みるも、左膝のリハビリ中に、今度は右膝の半月板が損傷。漫画のような"まさか"の不運を呪い、絶望に打ちひしがれました。

それゆえにミッチー派です

ところがその際に、バスケがなかなか諦めきれずに、部の「マネージャー」として活動していた期間があったことが、その後の人生に大きな影響を与えた転機となったのです。

それまでは「自分がいかに点を取るか」しか考えていなかったのが、怪我によって喪失した"プレイヤーの自我"と引き換えに、冷静にチームを俯瞰する眼を手に入れたのです。

マネージャーとしてコートの外側から仲間を眺めていると、それまで一緒にプレイしていたメンバーのちょっとした癖や改善点が、面白いほど見えるようになった。それについて一言アドバイスをすると、実際にプレイが変わり、チームがよくなる。

このときに「自分が点を取るよりも、人を活かすほうが、面白いかもしれない!」「ちょっとした支援やきっかけで、人のパフォーマンスは劇的に変わる」と気が付いたのです。いま思えば、これがファシリテーターとしての直接的な喜びの原点でした。

最近になって気づいた、自分の新たなポテンシャルフェチ特性

その後、さらにポテンシャルフェチである自認を強めてワークショップデザインとファシリテーションの道に進むわけですが..。MIMIGURIを経営するようになって、さらに気づいた自分の新たな特性があります。

それは、自分は他人の「思いも寄らない"意外な才能"」が発揮されたときこそ、余計に喜びを感じる、という特性です。予想通りのポテンシャルよりも「想定外の覚醒」に、興奮してしまう。

たとえば、MIMIGURIには和泉裕之という組織人事メンバーがいます。和泉とはかれこれ10年の付き合いがありますが、私は彼を一流のワークショップファシリテーターとしてその才能に惚れ込み、声をかけました。

ところがいま和泉は、MIMIGURIの「社内放送局の番組プロデューサー」として、新たな才能を覚醒させ、キャリアを切り拓いている。こんな意外すぎる展開、誰が予想できただろうか…!

MIMIGURIの領域の多層性が、意外な才能を覚醒させる

MIMIGURIにジョインしてくれるメンバーたちは、私の偏見で勝手にラベリングさせてもらえば"狭間(はざま)の人材"が多いと感じています。

特定の領域の"中心"にハマりきらず、領域Aと領域Bのあいだで揺らぎ、なんとなく"邪道"感のあるキャリアに自己卑下しながらも、目の前の困難な課題にトライし続けてきた人たち。

そういう"狭間の人材"は、経歴を聞いても何者かよくわからない場合が多いのだけれど、どこか魅力的で、MIMIGURIの事業と組織の複雑性と変動性、そして領域の多層性に非常にマッチすると感じています。

"どっちつかず"だった人材が本領を発揮できるのが、MIMIGURIの学習環境

そういう人たちの眠れる「意外な才能"C"」が、ふとしたきっかけで覚醒すると、経営者として心の底から喜びを感じる。そういう場面に日常的に出会えることが、MIMIGURIを経営する最大の理由のひとつだと言えるでしょう。

衝動(2)"その手があったか!"を仕掛け続けたい

私のMIMIGURIの経営を支えるもうひとつの重要な動機は、常に周囲に「その手があったか!」と思わせるような、驚きの一手を仕掛け続けたい、という衝動です。

"他者の驚き"を遊ぶ、幼少期の原体験

他人を驚かせること。これは私のクリエイターとしての根源的な欲求だといっても過言ではありません。振り返ると、その特性は幼少期の頃から徐々に発現していたように思います。

以下は、成人してから父親に「お前が4歳の頃に、生まれて初めてデザインしたワークショップだよ」と渡された、手作りのおもちゃです。

カプセルに紙が入っている
開けると「あたり」でした
しかしさらに開くと「はずれ」..!(性格が悪い)
…と思ったら、あたった!

こうしたおもちゃをこっそり作っては披露して、家族の驚くリアクションを楽しんでいたのだそうです。

5歳以降には「迷路」にハマっていたようなのですが、誰かが作った迷路を遊ぶのはあまり好きではなかったようで、自分で複雑な迷路を作り込んで、人に遊ばせるのが好きだったようです。

「ここで迷うだろうな〜」と想像しながら作るのが好きだった

さらにその後は「手品」にハマり、さまざまなタネや道具を入手しては披露して「すごい!今のどうやったの!?」と驚かれることが、大きな喜びだった感覚を今でも明確に覚えています。(※その後、たまたま怪我をして激しく出血した際に、手品だと勘違いした祖母から「すごいねえ!どうやったの?」と言われた悲しい事件を最後に、手品は引退しました🕊)

幼少期から私の遊びの触手は、"他人が驚く体験"に伸びていたのです。

MIMIGURIは、新しい可能性を示し続けるパフォーマンスアート集団

自分たちの作品を通して、見る人たちを「すごい!どうやったの?」「そんなのアリ!?」「その手があったか!」と驚かせたい。この衝動は、今でも私の創造性を支えている根源的なエネルギーになっています。

私にとってのMIMIGURIは、世の中に「こんなやり方もあるんだぜ」という新しい可能性を示し続ける、パフォーマンスアート集団のようなものです。

MIMIGURIが生み出す事業やクリエイティブ、書籍などのコンテンツはもちろん、MIMIGURIの在り方そのものが、ひとつの作品である、という感覚で経営をしています。

SNSを騒がせた合併のニュースや、文科省認定の研究機関化のリリースなどもすべて、私にとってはじっくり仕込んだ手品をいざ披露するような感覚でした。

新しい"知の生態系"のプロトタイプを世に示したい

私は博士号を取得する過程で、大学というアカデミアに大きな希望を見出しました。師匠の背中を追いかけながら、社会的な実践と結びついた研究が、世の中をいかに大きく変革しうるか、実感することができたからです。

しかし同時に、大学という仕組みに対して、ある種の"絶望"を味わったのも事実です。私がいた環境は恵まれていましたが、一般的に研究者のキャリアや就労環境には課題が多く、稀有な専門性を持った有望な若手研究者たちが、研究以外の業務に忙殺され、生産性を奪われ、専門領域の発展が停滞するケースを多く目の当たりにしてきました。

私がいまあえて大学を拠点とせず、MIMIGURIで研究活動を推進している理由は、MIMIGURIを通して"知の生態系"の新しい可能性を世の中に示したい、という野望があるからです。

大学、特に人文・社会科学領域は、このバランスを崩している

思い返せば、前身であるミミクリデザインを創業した2017年。当時、社員第一号である東南裕美と「研究者にとっての"理想郷"を創れないか?」と語り合った夢が、MIMIGURIの現在の研究機関やCULTIBASEの下敷きになっています。その野望の詳細は、東南の記事にも語られていますので、そちらをご覧ください。

誤解をされたくないのは、私たちは決して現在の大学に石を投げつけたいわけではない、ということです。自分たちは、あくまで"アカデミアとビジネスの狭間に揺らぐ、邪道的存在"だと自認しています。

それでもMIMIGURIらしい"その手があったか!"を示し続けることで、アカデミアを触発できれば、経営学や教育学をはじめとする人文・社会科学領域において、研究者が研究時間と資金を確保する新たな道筋や、研究と教育のよりよい連携の提案ができるはずだ。そんな感覚があるのです。

衝動(3)予定"不"調和に身を置きたい

"舗装された道"から脱線したくなる衝動

最後はオマケです。私のもうひとつの面倒くさい特性として、昔から何らかの強制力によって「〜しなければならない」「〜してはならない」の割合が一定を超えると、強いアレルギー反応が出る特性がありました。

最初にそれが発症したのは、小学5年生の頃です。どうやらこのまま小学校を卒業すると、決められた地元中学校に進学して、決められた制服を毎日着なければいけないらしい。なぜだか私はそれが無性に許せなくて、どうしても受け入れられなかった。そこで親に相談して、中学受験をさせてもらい、校則と制服がない私立中学に進学したのです。

大学受験の時もそうです。膝の怪我をきっかけに私はスポーツ医療に関心を持っていて、医学部を目指していた時期がありました。医学部専門の予備校に通い、ようやく合格が見えてきた、センター試験の直前のこと。そのまま受験すればよかったものを、ふと「このまま合格したら、医師免許を取るためには医学部で6年間も勉強をしなければならないのか…?」と考えたときに、なぜだか背筋がゾッとして、急激に「恐ろしい」という感情に襲われたのです。(…結果、専門学部を絞らなくてよい東大にピボットしました)

その時はうまく言語化できませんでしたが、私は「進むべき道」が舗装され、先行きが見えてしまうと、未来の自由を誰かに奪われたような感覚になって、"道"から脱線したい衝動に駆られるようなのです。

"綺麗に舗装された道の真ん中"を走る恐怖感。
共感する人はいませんか?

経営者を裏切り、揺さぶる存在としてのMIMIGURI

それゆえに、私は自分の未来の不確実性を常に高く保ち、予定"不"調和な環境に身を置いていないと、自分のエネルギーが枯渇してしまう。

2015年に博士号を取得して、なんとなく大学教員としてのキャリアプランが見え始めた2017年頃に、突如としてミミクリデザインを創業したのも、実はこの衝動がきっかけです。"トラベリング"スレスレのダイナミックなピボットを繰り返していないと、創造性を保てないのです。

その意味で、MIMIGURIという手のかかるしんどい会社は、経営者である私に対しても、常に「驚き」を与え続けてくれる存在でもあります。

経営者としてロードマップを策定しながらも、内心「きっとこのロードマップが、良い意味で裏切られるのだろうな。だってMIMIGURIだもの」という感覚が、どこかにある。

だから私は、めちゃくちゃしんどいけれど、MIMIGURIの経営がやめられないのだろうと思います。面白すぎるぜ、MIMIGURI!

あらためて「人生HARDモード」に導いてくれた共同経営者のミナベには、心から感謝しています!

おわりに

さて、MIMIGURI Advent Calendar 2022は、これにて終幕です。

この25日間、多彩なメンバーたちが、それぞれの景色からMIMIGURIの取り組みや魅力、葛藤や探究の成果を赤裸々に語ってくれました。力作の記事ばかりですので、よければ他の記事も読んでみてください。

60名の組織で半数のメンバーが手を挙げ、忙しい業務のなかで
素晴らしい記事を書いてくれたことを誇りに思います。

MIMIGURI Advent Calendar 2022(表
MIMIGURI Advent Calendar 2022(裏)


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