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わたしにとって、ひかりってこれです/アランニット制作日記 最終回 3月後編 その2

 「これ、おんなじ靴」。公園を歩きながら、青柳さんが口にする。ゆきさんが「おぼえてますか?」と僕に言う。それは去年の1月の終わり、沖縄を訪れたときに、ふたりが偶然お揃いで履いていた靴だった。

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 その日は沖縄で撮影が行われていた。青柳いづみさんと今日マチ子さんによる共著『いづみさん』が刊行されるにあたり、沖縄でグラビア撮影が行われた。撮影に向けて、青柳さんが協力を依頼したのがゆきさんだった。

青柳 ゆきさんと一緒にごはん食べに行ったりするようになったのは、『いづみさん』を作るにあたって、ゆきさんに無茶振りをしたのがきっかけだったと思います。あのとき、お願いするならゆきさんだって、また確信があったんですよね。うまく言葉にはできないんですけど。

藤澤 しかも、「スタイリングをしてください」ってお願いだったんだよね。

青柳 そう、だから「スタイリングをする人じゃないですよ?」って言われました。ゆきさんは、洋服のここだけを見てる人じゃなくて、その背景も見えてる人なんじゃないかって勝手に思ってたんです。服のことだけじゃなくて、全体的に考えてくれる人で、もっと話したいなと思うのがゆきさんだった。

藤澤 スタイリングを引き受けたのは、私も「もっとしゃべってみたい」と思ったからだったな。

青柳 沖縄で撮影をした次の日、ゆきさんとドライブに出かけて、そこで「友達がいない」って話を結構したと思うんですよね。それで友達の契約を交わして。

藤澤 ちょっとうろおぼえだけど、「友達になりましょう」って言ったんだっけ。

青柳 「もう友達だと思う」って、海に行くまでのあいだに話したんだと思う。

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――ゆきさんの作品を買ったのは?

青柳 これ。あ、これまだお金払ってない。

藤澤 え、うそ?

青柳 まだ買ってないかも、もしかして。ごめん、払うね。まだ買ってはいないんです、私。これだもんね。その前に、このガウンを、お礼にって言って。

藤澤 原美術館での発表のお礼に。

青柳 作ってくれて。ほんのりみえるわ仕様で。でも、なんか、この人に、ずっと作り続けてもらいたいなっていう、意志表明は、やっぱお金は払わないと成り立たないなと思って。で、そして、買ったことないじゃんってことにそこで気づいて、ほしいって言った。まだ買ってないんですけど。

藤澤 ありがとう。

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 『いづみさん』の撮影を終えると、今度はゆきさんが青柳さんに依頼をする。2019年3月16日、YUKI FUJISAWAは原美術館で「“1000 Memories of” 記憶のWorkshop」を開催する。そこではプレゼンテーションも開催され、多くの人が来館した。来館者は、自身の記憶を“記憶の破片”という紙に記すと、それと引き換えに記憶の通貨「memoire」を受け取ることができた。今後、YUKI FUJISAWAの記憶にまつわるプロジェクトで使用できる通貨だ。
 その日、記憶の破片とmemoireを交換する「換金所」の役を担ったのが青柳さんだった。来館者と直接やりとりして、その人の記憶について会話をする「換金所」役――それは、青柳さんが演じてきたいろんな役の中でも、少し異質であるように思える。

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青柳 考えたことなかったけど、そうかもしれないですね。ゆきさんからの依頼じゃなかったら、引き受けてなかったかも。

藤澤 それはやっぱり、舞台じゃないから?

青柳 舞台じゃない――というより、何をやるのか、まったくわかってなかったのだけど(笑)。換金所役って説明を受けてもよくわからなかったけど、役を演じるというよりは、ゆきさんが作った完全な世界の中に入ってみたかった。

藤澤 あのワークショップを企画してくれた金森香さんと話してるとき、最初は本物のポストを建てようって話もしてたんです。でも、ただポストを置くんじゃなくて、換金所役のなにかがいたほうがいいんじゃないか、って。換金所役を人間にやらせるなら、「青柳いづみしかいないね」って話になりました。

青柳 今ならもうちょっと良い換金所ができるかも。モノとして。あのときはちょっと人間過ぎちゃったかも。でも、人間じゃない状態で人間に話を聞くって、どうやったらいいんだろう?

藤澤 でも、こないだ(金沢・21世紀美術館で上演されたチェルフィッチュ×金氏徹平『消しゴム森』)のときは人間じゃなかったよね?

青柳 人間じゃなかったけど、あのときは発語はしてないからなあ。でも、『消しゴム山』と『消しゴム森』で、結構変わった気がする。『消しゴム山』が終わってから、藤田君に「なんかモノの扱い方変わった?」と指摘されてはじめて気がついたけど。舞台からおりるとその感覚を忘れてしまうんですけど、確実に空間の把握の仕方が変わっているし、人間を見る目というか、視点が変わってるかもしれない。変化してしまった今ではもうよくわからないけど。だから今換金所役をやったら、全然違う換金所になる。

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 青柳さんは「換金所」役として誰かの記憶を受け取った。そこで受け取った言葉は、3月31日に開催された「『記憶の破片』をめぐる朗読会」で朗読された。この企画にかぎらず、女優という仕事は、誰かが綴った言葉を受け取り、それを観客に差し出す仕事だ。それは、ゆきさんの「記憶の中のセーター」とも、どこか通じるところがある。

藤澤 たしかに、そうですね。私はやっぱり、橋渡しする役なんだと思います。私の仕事はベースとなるヴィンテージの素材を探すところから始まるけど、そこに「私がこのヴィンテージをデザインしてやる!」って自発的な気持ちはあんまりないんです。そうじゃなくて、次の人に手渡すための準備を手伝うような気持ちです。ヴィンテージを見てると、「これ以上手を加える必要がないな」と思う物もあって、そういう素材は私は買わないようにしてます。

青柳 それは、何が違うんですか?

藤澤 配置する必要があるのかどうかってことなのかな。言い方を間違えると、ちょっとスピリチュアルな話になっちゃうから難しいんだけど。パン屋さんが小麦の声を聴くとか、彫刻家の人が「土がこうなりたがってる」とかって言うのと近いことなんだと思う。ずっとやってるから、そのものをどう次に配置したらいいか、読み解く力が鍛錬されてきたところはあるかも。

青柳 じゃあ、「もうこれ以上手を加えなくていい」と思えるニットがいたとして、そのニットは何て言ってるんですか? 「俺のことはもう放っといてくれよ」みたいなこと?

藤澤 しゃべってるわけじゃないんだけど、何も手を加えなくても「次の人の手に渡るだろうな」と思える力を感じるニットと、「もうちょっとこうしてあげたほうが、より素敵に生まれ変われるよね」って感じられるニットがあるってことかな。

青柳 そうなんだ。でも、声が聴こえるみたいな感じは、舞台上でもあります。稽古場にはないけど、本番中の舞台にはあるもの。「ここはこうしたほうが絶対にいい」っていう、これもまた謎の確信。

藤澤 あ、私の中にあるのも「確信」かも。

青柳 確信が生まれる瞬間が、いっぱいある。誰による声なのかはわからないけど、実際に観客がいるときにはっきりわかることが、いっぱいあります。「『記憶の破片』をめぐる朗読会」は朗読の時間が音楽に合わせて15分ほどで、声を聴き取ってもその瞬間に生かす余裕がなかったから、そのときに生まれたものをまた別の形にして誰かに見せたい。

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 青柳さんは、ゆきさんが手がける衣装を、舞台上で身にまとってきた。舞台上ではなく、普段の生活でゆきさんの作品を着るようになったのは、原美術館でのワークショップのお礼にニットをプレゼントされてからだという。

青柳 この冬は、ほぼ毎日のようにこれを着てます。ゆきさんには「毎日着ちゃ駄目」って言われたけど、ほぼ毎日着てる。

藤澤 うん。休ませてね。(笑)

青柳 でもね、ずっと着ちゃう。今はこれだけでいいやって気持ちになる。ずっときらきらしてていい、って。きらきらが剥がれてコートや机にくっついてたりするのも可愛くて。

藤澤 きらきらしてるユニフォーム?

青柳 ユニフォームです。これ、ほんと毎日、知らない人に何かしらを言われるんですよね。この前もスーパーで知らないおばあちゃんに「すごくきれい――っていうかすごいわね」って言われた。「思ってるより光ってるよ」って言われたこともある。

藤澤 だってこれ、通常のものより更に箔を重ねたもんね。

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青柳 ゆきさんにオーダーするときに、「どの色の箔をメインにする?」って聞かれて、悩んじゃって。ああもう、そういうのはちょっとわかんないやって、全部のせになりました。だからめっちゃ光ってる。青と、銀と、ブロンズ。ばあちゃんはこれを見ると、「夢みたい」って言う。

藤澤 おばあちゃんって、いづみちゃんのおばあちゃん?

青柳 そう。うちのばあちゃんが「夢みたいねえ」って。『みえるわ』の衣装もまじまじと見つめて「夢みたいねえ」って言ってたから、おばあちゃんたちのあこがれなのかな。「宇宙」って言われたこともある。ボイジャーだっけ、探査機が地球外生命体に出会ったとき、「地球ってこんなですよ」ってことが搭載されてるじゃないですか。何が載ってるのかわかんないけど、「地球の音楽ってこういうものですよ」みたいな。そのボイジャーに、この服は搭載されてる感じ。「着るものってこれですよ」って――いや、違う。着るものっていう言葉じゃないかもしれないけど、「いづみにとって、地球にとってのひかりってこれですよ」みたいな、そんなような感じがする。

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二人が話していたのは、神田川のほとりにある江戸川公園だった。この日、桜はもうほとんど咲きかけていた。今ではその面影は薄くなっているけれど、かつてこのあたりには染工場が数多く存在しており、賑わいを見せていたという。その時代にはどんな風景が広がっていたのだろう。
 いつだか水辺で目にした風景を思い出す。
 沖縄で『いづみさん』の撮影が終わった翌日、海を目指してクルマを走らせた。1時間以上かけてようやくたどり着いた海で、ゆきさんと青柳さんは、貝を拾いながら砂浜を歩いていた。浜辺に打ち上げられている漂着物を見て、私の仕事はこういうことなのかもしれないと、ゆきさんは口にした。こんなふうにどこかから漂着したものを、次の誰かに手渡す仕事なのかもしれない――と。その瞬間のことは今でもはっきりおぼえている。
 そんなふうに沖縄で過ごしたことがきっかけとなって、この「アランニット制作日記」を書き綴ることになった。ゆきさんが「記憶の中のセーター」を作る日々のなかに詰まっていることを、未来にいる誰かに届けられるように、こうしてボイジャーに記録しておく。

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「アランニット制作日記」 完

words by 橋本倫史

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