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失われた1年

インド人がゼロという数字を見つけたのは君に不安な気持ちを抱かせたくなかったからだろう。
ゼロは進まない。ゼロは戻らない。ただそこにあるだけだ。何もないという数字なのに。

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テクノロジーや時代の転換点として後世で教科書に小さくでも載るようなことが毎日のように起こっている。これが本当の働き方改革。
名刺もいらない、不要な会議もしない、中間管理職の消滅、あの人って本当はいらなかったんだねという事実の表面化、いろんなものに気付き、失われていく。

確かにこれを機に世界中の誰もが新しい生き方を模索し、新しい楽しみを探し、時間を持て余し、新しい人間関係を構築したり、これまでになかったものを獲得しようとしていてそれはとても美しい。

それでもこの1〜2年で失われるものを僕は安く見積もってはいないんです。

「今年はまだ桜を見ていないんです」というお客様がいて大したことないような話だけど80回見れるはずの桜を見れない年があるなんて。桜を見ながらみんなでお酒を飲むことができない、たかが落葉樹の写真を撮ってそれを愛でるという楽しみが奪われてしまったことは「たかが」だけど「されど」だと感じる。

春にロックフェスに行こうとしていた人もいるでしょう。
友達とおいしいものを食べようとしていた人。
結婚記念日で外でディナーをする予定だった人。
甲子園に夢をかけた人。

いろんなものが奪われていき、これからも奪われていくのだろうと思う。

今はなんとか乗り切らねば、という気持ちや環境の変化に対する「ハイ」な状態なのでそれを感じることはなく「仕方ないよね」という諦めにも似た気持ちだと思うのだけど(自分も含めて)改めて考えると僕らのたわいもないけど結構大事なものが”さっ”とさらわれてしまったのだと気づくにはそう時間はかからないでしょう。

何を責めるわけにもいかないから余計にやるせない気持ちになったりする。
国の偉い人たちは専門家の意見を聞き何が必要なのかを知っている。それでも外交や経済を優先したのでその初動だけでも誤らなければ失うものが多少少なくなったかもな、と感じる。

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何かを獲得するより手放す方が難しい。

夢は叶えるより諦める方が難しい。


僕は根に持つタイプなので「失ったあれこれ」のことをくれぐれも諦めたわけでもないし、忘れたわけではない。
読んでくださっている方の中にも冷静に顧みるとそういうものが少なからずあると思います。

でも生きていかなくちゃな、と思うのです。
獲得するもの、叶うものよりも手放したり諦めるものが多い失われた一年だとしても。


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