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アトピーになって気づいたこと

当時10代の人生のまだ半分も生きていない私の「生死」の考えは今思えば少しマニアックだったかもしれない。
今日は、過去の私のお話しでっせ。
(いつもと違いまじめに話してマッスル)

10代の頃、突然重度のアトピーに見舞われました。
摂食障害になり復活後しばらく経った頃だったので、精神的にも外見的にもダブルパンチをくらい人生の絶望の中にいました。

たかが十数年しか生きていない私が「生きること」について深く考えさせられた時期でもありました。

話しは少しだけ変わらせていただきますが笑
「人はないものねだり」の生き物です。

ああなっていたら、こうなっていたらと言いながらそれを手に入れたらもう忘れて次のことを求めてしまっている。

その都度の感謝をすぐに忘れてしまい、できた自分を置いてきぼりにして次の自分にしか期待をしなくなる。

今健康であっても少し体調を崩したら懺悔したり後悔したり健康をありがたく感じるのに、治ったらすぐ忘れてしまう。

人って常に進んだ先ばかり見て、今や過去の教訓を忘れがち。
過去の自分より明らかに今の自分の方ができることが増えていても、それを見ずに気づかずに、ずっと求め続けている。

もちろん求め続けていることは良いことでもあります。
向上心や意欲や次に進む力や成長し続けるパワーになる。
だけど”求め違い”が起こると人は「ないものねだりを探すプロ」になってしまう。

話しは戻りますが・・・。

アトピーになるまでの私も案外、色々ありました笑。
10代までの私はざっくりこんな感じ。
いじめ・5回の転校・摂食障害・引きこもり・10代で理由あっての突然の1人暮らしetc。(20代以降はまた違う時に笑)

今考えたら普通の学生生活なんてほぼ送ったこともなければ、青春!みたいなことをしたことがないのです。かわいそうな私。笑

10代の頃、色々私なりに経験をさせてもらった中で1番過酷だったのが
「突発性成人アトピー」でした。
首・顔・頭全てじゅくじゅくの化膿して黒ずんだ皮膚。
朝起きると枕と皮膚がくっついて、痛いながらにそれを剥がして血だらけになるという時間から始まる日々。洗面台の鏡には醜いホラー映画の特殊メイクでもしたような自分の顔を見る毎日。どれだけ清々しい朝の空気が溢れていても、私の毎朝の始まりは苦しく辛く、また今日も1日が始まるのか・・・という感情しかなかったのです。
今の私を知る人は過去の私を見ても気づかないと思います笑。

「目は口ほどに物を言う」


人の視線ってすごいのですよね。
きっと自分では気づいていないけれど、人を見る時の瞳は心が出ている。
「かわいそう」「気持ち悪い」「私じゃなくてよかった」
もちろん私がそういう状態で、そう受け止めていることがあるかもしれませんが、”目は口ほどに物を言う”は本当にそうです。
これは経験者にしかわからない表情を読み取る力かもしれません。

こんな顔で社会にも出られず仕事もできず、これから生きていて何になるのだろう。このままこんな姿で家にいる方が迷惑じゃないかな。

ちょうどそう強く思い始めた頃、毎晩眠れずにずっと「生きること」について考えていました。

生きるって何だろう。
そもそも人はなぜ活かされているのだろう。
どうして争いや幸せの差があるのだろう。
このまま生きていて私は何ができるのだろう。
どうして幸せな人とそうじゃない人がいるのだろう。
私は何がしたかったのか、どうやって笑っていたかな。
幸せってどんなことを言うんだっけ。

ここから色々考えたお話しは少しずつ抜粋して
またお話ししたいと思いますので割愛しますが・・・。

毎日毎日「生きるとはなんだろう」と何かを見つけようと必死で考えていました。
(暗い笑)

本気で死ぬ勇気も持てず、生きている意味もわからず。
これから私の人生はどうなるのだろうな・・・と感じた時間。

ある日、ふと降りてきたのです。
本当にふいに。すごく不思議な感覚で。

「生きる」の意味が。

そうすると周りが見えて、私より私を見ている母が辛いのに笑顔でいることや、本当に心配してくれているのに哀れんでるだけだと思っていた友人たちの思いやりや、他にも当たり前の日常を過ごせていること、本当は綺麗なお肌の時より”今”が1番自分を知れて自分で生きられる気づきがある幸せな時なのかも・・・と。

そう感じた瞬間、本当に米粒より小さい光が見えたような気がしたのです。
そして、少しずつ生きる力がわいてきました。

そこから治るまでには時間もかかりましたし、精神的にも何度もやられそうになりましたが、それでも何か掴んだような感覚を胸の奥に感じながらどうにか前向きに頑張れたのです。

生きる意味って、言葉では全ては伝わらないと思うし、言葉で伝えてもそれぞれの視野で感じるように人はできているから、思うように感じるのでいいとも思う。

だから今回は、あえてその時感じた「生きるの意味」は書きませんが、その代わりこれを伝えたい。

「あの時があるから今がある」
この言葉を聞いて嫌な感じがする人も、そうだなっと共感する人も、色んな感じ方があると思う。

でもきっとその通りだと思う。
それは良い悪いとジャッジするのではなく、いつだって「過去があるから今があって、未来は今の自分が育てていくもの」だからです。

必ず「あの時があるから今がある」と言う現象が起こっているのです。

今が過去も未来も左右する。
そして何より「今」生きている自分が1番主導権を握っているのです。

答えなんてきっと死んでもでない笑。
だけどそう思うことで人は気づき、成長し、行動するのだと思います。

ずっとコンプレックスだらけだった自分。
お洋服も髪型も何をしても田舎くさかった。可愛い子をみては羨ましかった。

だけどアトピーになった時
「どうして諦めずに努力しなかったの!」
「それでもアトピーじゃなかったし、外に出られる自分だった!」
「お化粧できる自分だった!」「やりたいことをやるために動ける自分だったのに!」と元気な過去の自分に羨ましく悔しく思ったから笑。

「アトピーが治ったら今度は好きな自分になる!」「好きなことを全力でする!」「健康な自分に感謝する!」「そして周りの人たちを笑顔にできる自分になる!」そう決めたのです。

ふいに触れた「生きる光」それは私がそれを知らなければいけなかったことだと、今はとても感じています。

だからこそ、忘れないでいなくちゃね。

今を丁寧に大切に生きながら、全力で突っ走る。

それってね「生きているうち」にしかできないことだから。

じゃ。

今日はこんな感じで。

Yuki

















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