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思い出ばなし②~イギリス留学~

びっくりするぐらいホームシックになりました。
あれだけ楽しみにしていたイギリス行き、最初の涙は出発の成田空港にて。

20年前なので記憶が薄れているのですが、確か留学斡旋会社を通して
学生ビザを申請してもらい10ヶ月滞在できるようになっていたと思います。
当時、犬を飼っておりましたが、お世話係が私だったので、
家族に愛犬の散歩などを頼みました。
イギリスへ出発の朝、家を出る時「どこに行くの?」という顔で愛犬が私をじっと見ていたのを思い出します。

成田空港での出発、父、母、姉が見送ってくれました。
最後の最後、出発ゲートにて「ここからは一人だぞ」と父から言われて
「ここから一人!?」頭を殴られたようなショック!
一気に涙がこぼれてきました。何を今さら気付くのが遅すぎ!
家族と離れるのが寂しくてわんわん泣いてしまいました。
「自分で決めたことなんだから(がんばってきなさい)」と母から言われ
泣きながらうなずいて、一人で出発ゲートをくぐりました。

キャセイパシフィックの香港乗り換えでイギリスへ旅経ちました。
あきれるくらい、飛行機の中でずっと泣いていました。
初心者丸出し、大きなバックパックを足元に置きっぱなし、
客室乗務員さんから「荷物は上の棚にしまってください」と英語で注意され
その英語もよく聞き取れず、ジャスチャーで理解する始末。
初めての海外、一人旅、香港での乗り継ぎの不安も少し、
旅のはじまりがこんなにもみじめで心細いとは!

運よく、同じようにイギリスへ留学するという女の子が席の近くにいました。その子は旅慣れしていたようで、色々とイギリスについても教えてくれました。乗り継ぎが分からなかったので、その子と一緒に行くことにしました。
乗り継ぎ時間が少なかったんだろうと想像しますが、
香港空港の端から端まで遠く、走って、搭乗ゲートがもう閉まるかもしれないというギリギリで次の便へ乗り込みました。

ヒースロー空港では、ボランティア先の小学校の校長先生が迎えに来てくれることになっていました。
留学前、校長先生と手紙でやり取りをさせていただき、
私の特徴を伝え、顔写真を送っていました。
小学校のマークを掲げた校長先生に空港で会えた時、まだお話していないのに「お母さん」のように思えました。
20年経った今でも、この校長先生とはお付き合いをしています。
そして私が「なんてこった!英語がぜんぜんわからない!」
やっと自分の無力さに気が付いたのは、先生と会ってからでした。
いつも遅すぎる私の気付き。。。
彼女の英語はスコットランド訛り。
英語が分からない私に追い打ちをかけるかのようでした。
会話がちんぷんかんぷん。英語の辞書を片手になんとか意思疎通を図りました。

長くなりましたので、いったん閉じますね。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
そして前回の「思い出ばなし」を読んでくださったり、スキを押してくださったり、本当にありがとうございます。



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