見出し画像

「10分未来のメッセージ」 1.プロローグ

「10分未来のメッセージ」

1.プロローグ


 きっと、それまでも聞こえていたのだろう。
 そうした音が、あるいは声が。
 未来からのメッセージが。

 届いていたんだろう。
 ただ、気づいてなかっただけ。
 彼女の呼び掛けが、オレの心に響いた、あの瞬間まで。



── あの、すみません! ──

 夏真っ盛りのある昼下がり、女性に声をかけられた。
 というより「女性の声」に、声をかけられたのだった。

「はい?」
 オレはぎょっとして周囲を見渡した。なぜならその瞬間まで、聞こえてくるのはセミの鳴き声ばかりで、人の気配など、まったくなかったものだから。

「誰も……、いない?」

 四方八方、頭上でセミが大合唱している大木にさえも、警備員としての鋭い視線を走らせるが、やはり誰もいないではないか。

 しかし声はすぐそばで聞こえた。

 セミの鳴き声にかぶる空耳にしてはリアルすぎだし、無線連絡が入ってくるイヤホンからの声とも明らかに違う。

「やだな。オレもついに熱気でやられたか」

 都心から適度に離れた新興住宅地の百貨店。
 オレたち警備員の仕事は、こうした夏場なら炎天下の路上で交通誘導か、地下の灼熱の配送所か、逆に冷房の効きすぎた店内にて、直立不動で警備にあたる。

 業者のトラックが1台出庫してきた。同時に幼い親子連れが手をつないで通りを近づいてくる。
「オーライ、ストーップ!」
 トラックをいったん停車させ、
「はい、すみません、どうぞお通り下さい」と、まずは歩行者──大概は店のお客様──を優先させる。
 緑豊かな広々とした中央公園に面したこの裏通りは、駅側の喧騒とは違って人通りもまばら。業者専用の搬入搬出口にはうってつけだが、時おり裏側から店内に入るお客さん方が通るから、細心の注意が必要だ。

 黒いレースの日傘を差した女性が、こちらの動きを気にしながら、ゆっくりと歩み過ぎて行った……と思いきや、くるりときびすを返してスタスタ戻ってくる。
 財布でも忘れたんだろうか?

「あの、すみません!」

── えっ!? ──

「つかぬことなんですが、どうしてもお尋ねしたくて」

 間違いない。さっきの声だ。時間が……、逆戻りしたんだろうか。

「セミって、降ってきますか?」

「はあっ!?」

「こんなに沢山セミがなってる、この大きな木の下に、ずっと長いこと立ってらして、頭の上にセミが落ちてくることなんて…….、あるんでしょうか?」

 オレの頭はぐるぐる。
 何でそんなこと聞いてくる? 
 一種のクレームか? 百貨店の敷地内、住民の通行路にまたがってセミの大木が存在してるのが迷惑だとか? 鳴き声がうるさいとか? 死骸をしっかり掃除せよ、とか?

「そうですねえ。ここいらでは一番の、セミのなる木と言えましょうからねえ」

 とりあえず、言葉を濁しておく。10分前にも聞いたあの声。この人はまさか物陰に潜んで様子を伺っていたのか? 

 確かにセミは降ってくる。気絶して、絶命して。あるいは突如息を吹き返し、瀕死の状態でそこいらをジグザグに飛び回り、断末魔の大暴れ。しかし頭に当たったことは? ない気がする。

「やっぱり降ってくるんですね?」
 心底おびえた様子で、彼女は同意を促してきた。

「降ってきやしませんよ」
 姿勢を正し、きっぱりと言い切る。お客様は安心させないと。
「ましてや頭に当たるなど」
 そして声を落として一応ひとこと添えておく。
「まあ、時々死骸は見かけますが」

「良かった! なら、こんな日傘はもうお役ごめんだわ」

 さっと折り畳まれた傘の下から現れた女性は、30代前半とおぼしき繊細な感じの美人で、クレーマーだとか、悪い感じはなさそうだった。

「わたし、セミが恐くって」
 肩をすくめ、困ったようにクスッと、何とも可憐な照れ笑い。

 日避けじゃなくて、虫の防御で傘を差してたわけか。笑いたくても笑えない。唇をきっと結んで笑いをこらえ、真面目な警備員の顔を必死で保つ。

「ずっと気になってたんですが、これで安心して歩けるわ。だって1日中立ってらっしゃるあなた方の上に落ちてこないなら、たまに通りかかるわたしにセミが当たるなんてこと、絶体ないはずですものね!」

 ガサガサいう雑音と共に、イヤホンに無線連絡が入ってきた。
「朝土さーん?」
 お客さんに失礼にならないよう、片手を僅かに挙げ、「ちょっとお持ち下さい」のジェスチャーをしつつ無線に対応する。

「予定変更で、今からB1の巡回、お願いします」
「了解です」

 仕事の邪魔をしてはいけないと察してくれたか、彼女はそっと会釈して足取りも軽く立ち去った。穏やかな微笑みを、後に残して。

 オレは嘘をついてしまった。店の信用を保つ為に。

 爽やかアップにまとめられた彼女の栗色の髪。美しいうなじは、まったくの無防備。そこにセミが落ちてワンピースの大きく開いた背中の隙間に入り込み、彼女が悲鳴をあげる図を想像し、オレの胸はチクリと痛んだ。

── 願わくば、彼女の上にセミが降ってきませんように ──。

 ほどなくして現れた交代要因とお決まりの敬礼を交わし合い、店内の地下食品売り場へと急ぐ。
 従業員用エレベーターに乗り込むと、若手社員2人が催事の広告を手に盛り上がっていた。

「朝土さん、お疲れ様です!」
 レジ担当の男性店員は、いつも威勢がいい。
「お疲れ様。混んでるのかな? B1、臨時で回れとの指令で」
「今日から催事が始まってますから」
 わくわくモードの女性事務員。
「あたし、限定の絶品濃厚チーズケーキ、予約しちゃいました~」
「北海道の物産展、人気ですもんね。レジも増員体制ですよ!」

 食品フロアの呼び物は、週替わりで展開される全国各地の物産展。濃厚ミルクやバターをふんだんに使用した菓子類に、牧場の肉や豊富な魚介類が惜しげなく盛られた豪勢な弁当、大地の新鮮野菜などが売りの北海道展は、とりわけ人気。初日は客の出入りが多く、売り場もごったがえすから予断は許されない。

── ひゃあっ! ドロボー! ──

 その悲鳴にオレは飛び上がった。
「何!?」

 しかし同乗の2人はどこ吹く風。
「何がですかあ?」

「泥棒って! 聞こえたじゃないか!」

 え? 何も? と、呑気に首を傾げる彼らに、オレは唖然とするばかり。



 →2.「予知音声とセミの君」に続く






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?