「10分未来のメッセージ」 2.予知音声とセミの君
「10分未来のメッセージ」これまでのお話……
百貨店にて警備中の朝土永汰は、セミを恐れる女性客から突如声をかけられるが、同じ呼び掛けを10分前にも聞いており、謎の気分に包まれたまま、エレベーターで地下の食品売り場へ向かう。
そこで今度は「ドロボー!」の悲鳴が聞こえるが…:…。
2.予知音声とセミの君
「今、泥棒って! どっかのフロアのから!」
「朝土さん? ここ、密閉空間のエレベーター。フロアの声なんて届きませんよ」
「無線が入ったのでは?」
「無線じゃないよ」
それでも一応無線で警備室に問いかけてみる。
「引ったくりがあったようですが」
警備室には何の報告も入ってないとの回答。
大型で、非常に速度の遅いエレベーターが停まるや否や、B1食品売り場の心臓部、サービスカウンターに直行する。店内では駆け足厳禁なので、精一杯の急ぎ足で。
カウンターには、ユリさんと絹江さんのコンビがのんびり佇んでいた。
「永ちゃん、どうしたん? 血相変えて」
パートの絹江さんは、いつもと変わらず、ひょうきんにオレを迎える。
「泥棒って、悲鳴が聞こえたんです! 年配らしき女性の」
「えっ、どこでえ?」
すっとんきょうな声で驚く絹江さん。
「マネージャー、呼びますね」
冷静かつ迅速に対応するユリさん。
「あたしら、何も聞こえなかったけどお?」
「エレベーターに乗ってたら、確かに聞こえたんです」
しかしあれほどの悲鳴が、同乗の2人には聞こえなかった、なんてのも、そもそもおかしいじゃないか。またも空耳だった? 炎天下の立ちっぱで、やはり熱気にヤラレたか?
「ひゃあっ! ドロボー!」
「今度は本物だっ!」
隅のジューススタンド辺りで不穏な動き。黒っぽい男が買物客を押し退けて1階出口へ通じる階段方向に走り去ろうとする姿。
あいつか!?
「おい、待て!」
本来ならば「お客様、お待ち下さい」だろうが、それどころではないのだ。猛ダッシュで追いつきタックル、階段に逃れようとあがく男を容赦なく羽交い締めにする。
自分は体格細めで屈強とは程遠いし、とりわけ腕っぷしが強いわけでもないんだが、護身術のコツは心得てるので、相手の力を封じ込むのもお手のもの。
観念したのか開き直ったのか、意外にあっさり敵は力を抜いた。応援を呼ぶまでもなさそうだ。
「何だよ! 財布、落ちてたから拾ってやったんだってのに!」
「嘘! 盗むとこ、あたし見てたんだから!」
「こいつ、おばあさんを突き飛ばしてましたよ」
証言者も続々と現れる。
「現行犯。言い訳しても無駄ですよ」
盗人の手から財布を取り上げ、絹江さんに連れられて来た持ち主らしきご婦人──つまり声の主──、に確認する。
「これですか?」
気の毒なおばあさんは、おろおろしながら、お礼の言葉を繰り返すばかり。
通常ならここで持ち物に中身を確認するのが手順だが、それどころではなさそうだ。
「永ちゃん、やったあ!」
絹江さんは野次馬のごとくはしゃいでいる。
恨みがましく奴はうめいた。
「きさま……。ただじゃすまんからな」
こうしてまた1人、敵を作る。
「永ちゃんだって?」
強面の中年男が振り仰いでオレの胸元のネームプレートを凝視する。
「ほう? 朝土っていうんか。忘れねえからな。覚えとけ!」
警備の仕事は店を守り、人を助け、そして犯人からは恨まれる。名札をつけているからフルネームもその場で割れてしまう。
まあ、どーぞ、どっからでもかかって来やがれってんだ、とでも返したいところだが、当店の品格を貶めてはならないのだ。
「本当に大切な……、大事なお財布だったんです」
何度も頭を下げながら、年配の婦人は涙声で続けた。
「主人のお守りが入ってて。亡くなった主人の、大切な思い出の──」
「良かったですね」
言葉をつまらせるおばあさんを、ユリさんが優しく慰め落ち着かせ、そしてやんわりたしなめる。
「ですがお客様? バッグの口は閉じておいて下さいね」
ユリさんが即座に通報してくれたので、警備室に連行するまでもなく、すぐに警官が盗っ人を引き取りに来てくれた。
カウンター内に落ち着いたユリさん絹江さんコンビは、改めて称賛と同時に、疑惑のまなざしをオレに向けた。
「だけど永ちゃん、何でわかったんやね?」
「予知したってことですか?」
更にエレベーターに同乗した社員2人の証言も手伝って、オレは「奇跡の警備員、朝土永汰」に祭り上げられてしまった。
そして、知ったのだ。
── あの、すみません! ──
さっきも、自分には10分ほど前の彼女の声が、先に聞こえていたのだと。
── ひゃあっ! ドロボー! ──
仲間には、偶然ですよ~と、ごまかしておいたが、今回に限ってじゃなくて、きっと、それまでも聞こえていたのかも知れない。そんな声が。
ただ、自分が気づかなかっただけで。
「10分先から聞こえてくる……?」
しかしこのことは今後、誰にも秘密だ。
それからしばらくは予知音声が続きやしないかと気にしていたが、どうやら意識して聞こえるものではないのだろう。予知なる声は、何日も聞こえず、何事も起こらず。
衝撃の展開となったセミの君との最初の会話は、しかしながら単調だった警備員生活に、ささやかな楽しみをもたらした。
以来、何となく互いに顔なじみとなったせいか、彼女は裏通りを通りゆく度にそっと会釈するか、優しく声をかけてくれる。それは1日中、立ちんぼうの警備員にとっては、爽やかな一条の光。
おはようございまあす、行ってらっしゃいませ、といった彼女とのさりげない朝の挨拶は、その日1日の幸福な活力源。
「雨の中、お世話様ですね」
たとえ夏であろうとも、防水がっぱを着用してようとも、雨に打たれて長時間立ち続けるのは、どうしたって惨めな気分になりがちだ。そんな中、通りすがりにそっとねぎらってくれる彼女の心遣いは心底ありがたい。
こちらからは立場上、「どうぞお気をつけて」くらいしか返せないのが、もどかしいところだが。
彼女の表情癖なのだろう。あの、セミを恐れていた時のちょっと戸惑ったような、困ったような、遠慮がちな微笑みが、何とも上品で愛らしいではないか。
彼女の来店は不定期だ。何処かに通勤してる様子もなさそうだし、どういった生活をしているのかも、謎。日中、普通に現れたりすると、まさか人妻なのかとも思えてしまう。
オレは何を期待してるんだ?
「こんにちは。そろそろ秋の気配ですね」
朝夕に、ひぐらしが鳴き始めた。どこかもの哀しいカナカナゼミの声。
しかし警備の配置は、彼女と最初に出会った裏道の搬入搬出口以外にも、駅から2階に直結のデッキ周辺や正面玄関、各階の売り場、各出入口、駐車場、配送所、と至るところ。
なので、たまたま、ある時、何処かで、セミの君と出会える可能性は僅かなもの。
会えた日はラッキー。だけど微妙なタイミングですれ違ってしまうのか、数日間も会えないと、心は灰色だ。
気づいたら、一条の光を常にむなしく探し求める自分がいた。
通り、店内、はたまた駅で。通勤電車の中ですらも。
── てめえ、何しやがんだ! ──
早番の勤め帰りの満員電車で、その声は聞こえた。
思わず「うっ」と身を引いてしまったが、周りの乗客の誰も、何も気にしない様子で思い思いに車内の時を過ごしている。すぐ脇の女子学生らも、どこぞやの何たらが美味しすぎだのと、たわいのないお喋りを平然と続けているし。
「これは……?」
自問自答。またなのか?
つまりオレはこのあと、ヤクザもどきとのいさかいに巻き込まれるということか?
10分後といえば、ちょうど自分の駅で電車を降りる頃だ。どうする? 予定の駅で降りなければ、争いは回避できるんだろうか?
── 試してみよう ──。
ドキドキしながら二駅目をやり過ごし、そして目的の、自宅のある三駅目。オレは電車を降りず、車内に踏み留まった。
雑踏の中、何かが起こる気配はなさそうだ。
発車のアナウンスと軽やかなチャイムが駅構内に流れ、ドアが閉まりかけた時──
→3.「本当に、ふしぎなことです!」に続く……
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