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人間模様から読み解く 新たなショパン像 ② 家族(姉妹)

フレデリックの姉妹

 3姉妹の中で、フレデリックが生涯に渡り最も親しくし、心から頼りにしていたのが、3才上の姉ルドヴィカであった。
 少女時代から豊かな音楽的才能に恵まれていたルドヴィカは、フレデリックが7才の頃、母の監修下で弟にピアノを教え始めている。
 弟の才能を最大限に伸ばそうとする優しい姉による指導も的確であったと思われるが、もともと良質な音楽にあふれていた家庭なだけに、フレデリックの実力はすぐに姉を、そして母をも追い越してしまう。聞こえてくるあらゆるメロディーを再現でき、新たな音楽を創り、即興も自在にこなすようになっていく。

 やがて20才となったフレデリックは単身、祖国を後にするのだが、それから14年が経ち、パリの彼の元に父ミコワイの訃報が届く。
 立ち直れないほど絶望し、病に伏せているという弟の身を案じたルドヴィカは、夫とともに遥々パリを訪れた。再会した姉と弟の喜びは相当なもので、一緒に過ごした10日間、2人は片時も離れようとしなかった。
 当時フレデリックと恋仲であったジョルジュ・サンドのノアンの館に招かれた際も、
「ぼくらは幸せすぎてパニックになるほどだった」と、フレデリックは友への手紙に書いている。

 その後、ルドヴィカが再びパリを訪れるのは、フレデリック最期の年だった。

「何としてでも来て欲しい。ぼくは衰弱してる。どんな医者よりも姉さんたちのほうが、よほど救いになるんだよ。たとえお金を借りてでも来て欲しい。自分が回復さえすれば簡単に稼げるわけだし、借金なんてすぐに返済できるのだから」            

  ~ 1849年6月付 フレデリックから姉への手紙より

 しかしその時点でフレデリックの結核は既に末期の段階で、手の施しようもない状態であった。

 パリに亡命していたポーランドの有力者の尽力で、8月上旬には、姉は弟の元に駆けつけることが叶う。フレデリックはたいそう喜び、ルドヴィカは弟の最期を看取るまでの2ヵ月間、懸命に尽くしていく。

 そして弟の亡きあとはパリに残された遺品を整理、遺言に従い、彼の心臓を大切に壺に納めてワルシャワの聖十字架教会へ持ち帰るという、音楽史にとっても重要な役割を果たすのだった。


 フレデリックのすぐ下の妹で、巷のショパンの伝記にはあまり登場しないイザベラだが、ピアノの腕前は大したもので、兄の新曲が亡命先のパリから届く度に家族に弾いて聴かせるのが、イザベラの役目だった。

 ポーランドに残された家族にとって、それは遥か異郷の地で活躍するフレデリックの貴重な消息で、かけがえのない音楽の便りであった。

 学生時代にショパン家の家庭教師をしていた数学教師アントニと結婚し、姉ルドヴィカの死後はフレデリックの遺品の管理を引き継いでいる。


  死ぬことは、私の天命なのだから
  死なんて少しも怖くはないの
  だけど本当に怖いのは
  皆の思い出の中でも、私が消えてしまうこと

 これは末妹のエミリアが、結核により14才の若さで亡くなる前に残した詩である。

 並外れた文学的才能、知性と想像力にあふれ、「ショパン家の、2人目の神童」とされていたエミリアは、詩や戯曲を自国語だけでなく、フランス語でも綴っていた。

 最愛の妹を亡くすという、フレデリックにとって、かつてない悲惨な経験。

 愛に満ちた幸せな家庭環境、心優しき友人や恩人に恵まれ、音楽を愛し、天性の冗談をとばしながら、それまでは心底屈託なく生きてきた明るい性格の17才。そんなフレデリックであったが、エミリアの死、ほどなくして続く親友ヤンの死は、彼の生涯に渡って計り知れなき深刻な影を落としてゆくのだった。


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