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判断の精度

自分の判断基準

自分が物事を判断する時、どこに判断基準を置くかが大事だなと、ふと寝転んでて思いました。

自分がしている選択のようで、決定する時に自分以外の人の何かを参考にしていることって多いなと感じます。

昨日のnoteで世界観やオリジナリティは主観とかその人の原体験とか、そんな部分からにじみ出るのかなって書きました。

それと同時に主観的でいるのは難しいとも思います。周りに人はいるし、物事は人との関わりの上で成り立つことがほとんどだし。

その上で判断の基準をどこに置くかは、その時々によって大切だなと思います。

判断の精度を上げる

芸術家と呼ばれる人やアーティストさんが凄いなと思うのは、価値とかを判断する基準が売れてる人は特に、多くて多感なのだろうと思うこと。

例えば、米津玄師さんは自分の好きな音楽や歌詞を書いているだろうけど、大衆の人が聞いて良いと思う曲にもなっている。最先端のMVとか音楽を取り入れた上で、日本的な音階を使ったりもする。

これって凄いことだぞと思います。

そこと比べるとたまに自分が悲しくなります笑

例えば、俺はこれから来るアーティストさんを探すとしたら、これは聞く側の人の反響と音楽プロデューサーさんたちの意見がバチッとあっているところを探してみたりします。

この探し方があっているかは置いておいて、素人の自分が自分の主観で判断するよりはあたります。

こんな感じで上手く探したい情報やたどり着きたい答えにたどり着くのには、主観や客観、視点の押し引きだったりがとても大事に感じてます。

物事を判断するときも、主観で進めるべきときがあったと思ったら、引いた目線で判断しなきゃいけないときもあります。

判断をする回数の度、その判断をするための制度が上がるのではないのかなと思ってます。

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