本を読むのはとても難しいということ

こんにちは、Yukiです。

先日、読書猿さんの記事を見つけました。

この記事の冒頭にこんなことが書いてありました。

まず、文章を読むことについてです。最初に知っていただきたいことは、読んですぐに分かる文章は実に限られていること、世界にあるほとんどの文章は簡単には理解できないことです。

僕のこの文章を読んで驚きました。というのも、僕は読んで理解できる文章の方が多いと思っていたからです。なので、この読書猿さんの主張には少し違和感を覚えました。

しかし、よくよく考えてみると、読書猿さんのいう通りかもしれないと思いました。そもそも、世界に存在する本のうち、日本語で書かれた本の方が圧倒的に少ないです。もし他言語で書かれた本を読みたいと思ったら、翻訳で読むか、その言語を勉強するしかありません。

それでも、そもそも言語が理解できない本の方が多数です。

また、日本語で書かれた本に限定しても、文字は読めるけど文章として何を言っているのか、本全体として何を言っているのかがすぐには理解できない本もあります。

例えば僕は現在、先生と二人でオルテガという哲学者の著書である『大衆の反逆』の読書会を行っています。毎回の読書会の前に、指定された章を読むのですが、場所によっては一体何を言っているのか理解できない箇所があります。

僕は日本語で書かれていたとしても、文字は読めても理解できない本も存在するということを、身をもって体験していました。

ではなぜ、僕は日本語で理解できる文章の方が多いと思っていたのか。それには、2つの理由が考えられます。

1つ目は、読書猿さんが記事の中で指摘している通り、僕が読んできた本は理解しやすい本ばかりだったからです。言い換えれば、すぐには理解できない本を避けていたということです。

「今まで読んできた本はすぐに理解できた→本はすぐに理解できるものだ」という考えが無自覚の内に、僕のなかにあったのだと思います。

2つ目は、そもそも日本語なのだから、理解できなければおかしいと考えていたからです。僕は日本で生まれ日本で育ちました。母国語は日本語で、日常的に日本語に触れています。

日本語をある程度自在に操れるのだから、文章を理解できない、本を理解できないなんておかしいのではないかと考えていました。なので、少し話はズレますがセンター試験の現代文はほとんど勉強していませんでした。

このような背景があったため、日本語で理解できる文章、本の方が多いと考えていました。

しかしながら、読書猿さんの記事を読んで考えを改めました。これまでは、理解できない文章に出会うと「おかしいな」と思っていました。しかし、実は理解できる方が少数で、簡単には理解できない方が多いのだと思うようになりました。

よくよく考えると、先述した現代文はハッキリ言って、苦手でした。当時の僕は2つ目の理由の通り、日本語なんて理解できて当たり前だと思っていたからです。

ですが、考えが変わった今思うと、きちんと勉強しておくべきでした。ある程度の水準までは、おそらく普段の生活を通して理解力は向上するのだと思います。しかし、その水準を超えるとその先は、センスや日常では不十分で、きちんとしたトレーニングが必要なのだと思います。

日本語を読むのは難しい。今、このように思います。例え、日本語を母国語としている人であってもです。

しかし、多くの人はかつての僕のように、このようには考えないのではないかと思います。

ですが、例えばSNSで、書いてある文章には書いていないことを読み取って、本来ならしなくて良い口論や対立を見かけます。SNSは、いかに文章を理解するのが難しいか、いかに書いてある通りに文章を理解するのが難しいか、その例を示しているように思います。

今からでも全く遅くありません。日本語をきちんと読めるようにトレーニングするのも良いかもしれません。

その際に、こちらの本が参考になるかも知れません。この本は参考書として1998年に出版されました。評価がとても良くいわゆる名著で、絶版になったあとは中古で約30,000円もするほどでした。

そんな名著が、来月ちくま学芸文庫から復刊されるとのことです。1冊手元に置いておいても損はないと思います

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