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【連載エッセイ】踊る!LA紀行①
01 出発
このエッセイがなぜ踊るのかというと、それはダンス留学のもとアメリカに飛んだからである。
この留学のきっかけは、大学生になったら留学をしたいなというふわふわとした願望だった。大学生になったら留学するんだろうなとなんとなくすぎる未来設計をしていたのだ。
まぁ、こんなうっすらみたいな願望ではあったが、大学生活も折り返し地点に差し掛かった頃、大学での留学制度を調べてみたら、費用がどちゃくそ高かった。
いや、留学なんだからそうだろうとは思うが思っていた以上のお値段だった。というのも、わりと私の周りは結構大学の留学制度を使って世界に飛び立っていたから、留学にこんな言い方はしないのだろうけど、言わばお買い得、なのかと思っていたのだ。でも、考えてみれば私の大学はそこそこの私立で見上げれば果てしないお金持ちがたくさんいたこと思い出した。
あと、もう1つちょっとかっこいいことを言えば、大学の留学はそれこそ言わば旅行とも言えるような留学のようだった。SNSで留学に行った子たちを見ている限り日本人で固まって授業を受けて、日本人で固まって観光に行って………めっちゃ日本語喋ってるじゃん???というようなもので、ただでさえ短い留学なのに、英語に触れる機会が少ないように思えてならなかった。
まぁ、結局あまりにも高すぎるという理由で両親もさすがにこれは無理だってなった。
そこで、白羽の矢が立ったのが知り合いがやっていたダンス留学だった。
その知り合いは、小学生の頃からお世話になっているダンサーさんで、本人がロサンゼルスに行っていた経験を生かして、留学エージェントをしていたのだ。
その留学であれば、外国人ばかりのダンサー寮に滞在し、毎日近くのレッスンを受けに行くといったものだった。まぁ、これも旅行とあまり変わらないと行ったら変わらないのだけど、費用も抑えられて寮で外国人に揉まれるならまだなにか身になると思った。
こうして踊る留学が決定した。
正直どうなるかはわからなかった。だけど、大好きなダンスを本場アメリカで受けられるといったワクワクは大きかった。
だが、このワクワクは長くは続かなかった。なんなら、アメリカに旅立つ日のメンタルは最悪だった。
やっぱり、異国の地に1人に行くのはだいぶ怖かった。今までの経験上なんとかなって楽しく終わるんだろうなとも思ったけど(実際そうはなった)、やっぱり言語も違う、通じるかもわからないところに行くのは怖かった。
1ヵ月間、自分をよく知る人が周りにいないこともやっぱりメンタルを弱らせる要因の一つだった。
だけど、なによりの1番の理由は母親と揉めに揉めまくったことだった。出発の2週間前ぐらいはほとんど喋ることもなかった気がする。正直覚えていない。思い出すと泣いてしまうから(ちなみにこのわだかまりは今でもしっかりと残っている。解決していないからこそ、泣いてしまうのだろうか)。
でも、その一方で、言われてることはわかるけどそんなに怒られないといけない??だったり、存在無視されるレベルに怒られること???とかとも思っていた。だからしんどかった。ひたすら無視をされるから自分の意見も言えず、自分の心の中でだけで叫んでいた。
まぁ、それが反発心みたいになって、留学へのやる気にもなっていもいたわけだが。
だけど、やはり留学費用は親に出してもらっていたわけで、こんな状態でアメリカに行くべきじゃなかったとか、私はひどい子供なのかとか、自分を責めてしまうようなことばっかり思ってしまって、消灯した飛行機内で声を抑えて泣いた。
本当に、メンタルはズタボロだった。
よくよく考えれば、本当にこんな状態で1人でアメリカに渡ったなと思ったりする。だけど、この経験のお陰で、「まぁ、なんとかなるか」精神が身についたんだと思っている。
つらい経験はやっぱりつらいけど、つらい経験の5割ぐらいは、自分の糧になるんだろうなっていうのが私の持論だ。
こうして、私はアメリカに飛び立った。私の短い短い、留学といえるようないえないような留学が始まったのだった。
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踊る!LA紀行はこちらにまとめております。
気になる方はぜひご拝読ください◎
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