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大学時代に不登校になったこと③~不登校編~

5.不登校への突入

不登校というのは1年間と期間を決めて休みを満喫しているわけではない。嘘だと思うだろうが、引きこもり当時は毎日大学に行こうと思っていた。

夜寝るときは「朝起きたら大学に行こう」と、朝起きたら「ご飯を食べたら行こう」と、ご飯を食べたら「お昼になったら行こう」と、お昼になったら「2時になったら」、2時になったら「4時までには」、4時になったら「明日こそは行こう」。毎日こう思っていた。

だから結果として1年程度の不登校期間があったのだが、1年間の自由な時間があったという認識ではない。常に「大学に行かなくては」という思いだけはあって、一方で大学に行きたくないという相反する思いが大学に行く時間を数時間ずつ遅らせていった結果、1年のブランクが出来上がったのだ。

だから細切れの数時間の時間がたくさんあったという感覚だ。その細切れの数時間中は、ずっとネットのまとめサイトとテレビのワイドショーを見ていた。どちらもただただ同じものを繰り返し流しているだけなので二つとも本当につまらない。なのにそれしか見るものがないのでそれを見続けた。

余談だが、引きこもり時に、まとめサイトとワイドショーを嫌というほど見たことと、本当に見すぎて嫌になったので、今現在はまとめサイトもワイドショーもほとんど見ない。

そして、半年から1年このようなことを行っていると、自分でもはっきりとこのままではでは引きこもりによる遅れが取り戻せないことを認識し始めた。
そして、「大学に行ったら今まで休んでいた分を一気に取り返そう。毎日、研究室に朝から行って研究すれば大丈夫だ」そのような一発逆転のような思想に陥るようになり、自らの研究復帰へのハードルを高くしていた。

また、まずは研究室の近くまで行ってそこから考えようと思い、研究室のある建物の下までは何回か行くこともあったのだが、どうしても研究室の扉を開けることができなかったということも何度もあった。

何とかして研究室の近くまでたどり着いても、じゃあ数か月ぶりに研究室に顔を出していったい何を話せばいいのか、これからどうすればよいのか、研究室の人たちからどんな目で見られるのか、今度はそういったことが頭の中に渦巻いてしまって、心を落ち着けようとして入ったトイレや談話室から出られなくなり、帰ってしまっていた。

一日研究室に行かない日が増えるたびにますます研究室に行く障壁が高くなり、ますます引きこもりの日々になってしまっていた。

泣くことも多くなった。自分がどうすればよいのかが分からなかった。自分の現状を先生や両親に話して、大学に戻って研究を行い、留年しながらでもよいから卒業することがベストだろう。だけど、自分の現状の能力が大学に戻ったとして留年してでも修了できるものであるのか自信もなく、じゃあ大学を退学したとして、その後どうすればよいかも見当がつかなかった。

(④に続く)


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