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大学時代に不登校になったこと④~回復期~

6.回復期

さらには精神的な不調が身体への不調にまで及んできた。

あまりにずっと家で座椅子に座っていたため腰を痛めてしまっていた。
久しぶりに家から電車に乗ろうとして、駅まで走って電車に乗ったところ、電車の中で気持ちが悪くなり、次の駅で倒れて救急車で運ばれてしまった。

どちらも運動不足だと医師から指摘された。

自分がかなりまずい状況になってしまっているとはひしひしと感じていた。認めるのに時間がかかったが、明らかに自分は今、精神的におかしな状況にある。大学の保健センターに相談しよう。そう決心した。

ここが回復のターニングポイントであった。

意を決して、保健センターの心療内科医がいる日に保健センターを訪ねた。しかし、その日はすでに予約で埋まっていたため、次週の診断を予約して。心療内科の先生とカウンセリングを行うとともに、発達障害に関するいくつかのテストを行った。

発達障害のような要因は見られないとの診断で、軽めの睡眠導入剤と向精神薬を処方された。エビリファイやワイパックスという向精神薬とアモバンという睡眠導入剤を処方された。

睡眠導入剤の効き目はかなり感じて、少なくとも眠れなくなることはなくなった。一方で向精神薬については効き目がよくわからなかった。最終的に向精神薬は効き目の強い薬に変更となったが、気分がすっきりと晴れてやる気に満ち溢れるようなはっきりとした効果がないのでわかりにくかったのだと思う。

社会的なつながりを失わないようにとのアドバイスを受けた。当時週2程度のバイトや月1程度のサークル活動は継続していたが、それは活動できる限りは続けるようにとのアドバイスだった。

そして、大学の研究室に戻った。どうやって戻っていったかは忘れてしまったが、向精神薬と睡眠導入剤を服用しながら研究室に登校することができた。

記憶が正しければ、私は修士2年の春ごろから何とか大学に行けるようになって、何とか実験を行えるようになった(とは言っても、実験の準備を周りの人にお膳立てしてもらいながらなんとか実験している状況であった)。

就職活動も見よう見まねで行った。誰とも相談することなく、知っている企業にESを書いてみたり説明会に参加したりした。当然、うまくいくなんてことはなかったし、面接まで進んだこともほとんどなかった。あまりに書類審査が通らな過ぎて、面接に通った通知が来ていることを知らずに面接日を過ぎてしまったこともあった。

それでもなぜか一社だけ採用が決まり、何とか就職のめども付いた。

夏休みもできるだけ、研究室に足を運び、今までの遅れを少しでも取り戻そうと、内容はわからないが論文を読んでまとめて修士論文の参考文献づくりをしてみたりしていた。また、足りない単位を補うために集中講義に参加したりと何とかして卒業に向けためどが立っていた。

苦しかった時期を何とか乗り越えて、私はついに修士卒業に向けた準備を進めることができた。

(⑤に続く)

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