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「私にしかできないこと」と「伝わり伝え、積み上げていくこと」について。

「自分にしかできないこと」はそのまま、自分の生まれた意味や、価値と呼ばれるものに直結させやすい。そして、お金に直結しやすいものでもある。

ここまでに世界が近く、誰が何をしているかを知ることが受動的なままでもできるようになった、あるいは嫌でも耳に入ってしまうようになった今の社会では、「ほかの人にはできないこと」に、自分の価値のようなものを見出そうとするのは当然のことなのかもしれない。

でも伝統工芸のようなものづくりの世界では、いや、私の場合はと言い換えよう。それ以外にもそのような業界はあるだろうし、どの業界にもそういう側面はあるかもしれないから。私にとっては、少なくとも竹籠を作る職人としてはその価値観は逆である。

私の活動のように、継いでいきたい何かを持っている場合は、「自分にしかできないこと」というのは大きなデメリットである。

たとえば私の作っている竹籠は、今もし私がいなくなってしまったら、そのままなくなってしまうだろう。もちろんそうならないために、読んでその通りに作れば再現できるような書き方で論文も残してある。
おそらく、多少竹工芸の手法に明るい方であれば作ることもできる。でも、継いでいくという過程には「なぜそこまでして残すのか」という、技術以外のいわゆる「思い」の部分が不可欠だ。

それも含めて継いでいくというのはとても難しいし、私だけができればいい、やっていればいい、という考えは、難しいけれど、ちょっとちがうと思うのだ。

もちろん純粋な自己表現たる芸術ならそうあるべきだと思うけれど。

私だけができることなら、たしかに希少価値も上がるのかもしれない。でも、それではその場限りの成果以外のものは残っていかない。それが大きな視点で見て、私にとって良かったとしても、その物にとって良いことかということだ。

そういうことってたぶん、この世界のこの社会のいろんなところに転がっているものだ。

私のできることを、どうやって伝えていこう。

私は何を伝えることができるだろう。


思えば高校生の頃から、「次へ繋げる」ということは私の人生の中でひとつの普遍的な問いであるように思う。

高校の頃は、廃れかけた地域芸能、いわゆる無形文化財の復興に携わった。(このこともそのうち記事にしてみたいな)
そして大学生になり、今度は竹籠という有形文化財の復元に携わった。

そもそも通っていた学校自体が、開校して間もない学校で、後輩にどうすればこの学校の良さを伝えていけるか、自分たちの思いを託せるかというような話し合いを生徒の中でもしていた。考えてみれば不思議な環境に私はいたのだ。 

そういう環境で過ごしてきたからかもしれない。人と関わることと、歴史が好きな、つまりは性格もあるだろう。

私は「自分にしかできないことを生み出す」より、「誰かに伝えてもらい、それを受け取って積み上げて」生きていくことの方に魅力を感じているのだと思う。

生きていくということは本来そういうことであると思っている。

そして少なくとも私は今、私の竹籠を私で終わらせない方法を探している。
もちろん活動が安定していない今は、自分がやることが一番大切だけど。ほんとうにお恥ずかしい。もっとちゃんとしなければならないのだ。

この籠を作れるのが自分だけだということに、助けられることだってもちろんある。矛盾は常々感じている。

んん、少しだらだらと書いてしまったかな。
何が言いたいかわからなくなってきたけど、もし、読んでくれる人の中にもし、自分にしかできないことを探したり、それがないと思って悩んでいる人がいたら、そういう価値観や世界もあるよ、こんなヤツもいるよ、と言いたい。

まあ、自分もそう言ってほしいのかもしれないけれど。私だって自分の活動を、お金に変えるのはヘタクソだ。そういう活動に手を出せずもやもやしているところもあるし。


なんだかそんなことを考えてしまうほど、今の世の中はあまりに個性を追い求めすぎているような気がする。そんなにひとりで光らないといけないだろうか?それが生きるってことだろうか?誰かにしかできないことを、生きる価値だとか、生まれてきた意味だなんて言う必要はなくないか。

ただただ、「それ、素敵だね」と拍手したいな。

甘いのかなあ。

それに、そんなこと考えなくても、あると思う、絶対、その人だけの素敵なこと。そういうのがかえって見えづらくなってるのが今の社会な気がするよ。

何だか脱線に脱線を重ねて着地点が思ったところじゃない気がするんだけど、まあ私もあんまりこの3日間竹ひごづくりが思うように進まなくて、なかなか編組に入れなく、ふわふわしてたので許していただけたら嬉しい、と、思っております…。

そんな私はたまにこの社会のもろもろもろに嫌気がさして、「意味も価値もいらないぜ!そんなもんなくても息していいだろんグあーーーーー!!!」と叫んで畳の上ででんぐり返りしている。

仕事に行く前に、畳に大の字になって「今日は仕事行きたくないンインインイン!!!寝てたあーーーい!!」とひとしきりだだをゴネてから何でもない顔で出勤したりしている。

生きるなんて、そんぐらいでいいと思うよ。

生きることの前にやらなきゃいけないことが多過ぎるんだよ人間は。

何の話やねんて。

さて、竹編むよ。
逃げないから、ちゃんと割くから、真っ直ぐ割れてくれよ。




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