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最近気づいた重要なこと (ー「カワイイ」「スゴい」「ヤバイ」の3語であらゆる感情を表現する現代人へ文化施設やアート作品がもたらしてくれるものー)

何かに気付く。ということは

人が生きていく上でとても重要な出来事のように思います。

私はここ数ヶ月、人とのコミュニケーションや自分から何か発する事についてもストレスを感じやすい状態になっておりSNSをお休みしていましたが、今回あることをきっかけに好きな物や素敵な事をシェアする素晴らしさを思い出したのでひっそりとここに書いておきます。

私は"古い物"が大好きです。記憶を遡ると、小学生の頃から市内の図書館を何軒も回ってたくさんの本を借りていた気がするし、(図書館というのは街の書店と比べると、新刊よりも少し前〜大昔に刊行された書籍が並んでいる比率が圧倒的に多いので必然的に昔の本ばかり読んでいました。)私が通っていた図書館はVHSやCDもかなり充実していたので中学生くらいになると映画や音楽も片っ端から借りて視聴していました。(この時に見た映画のタイトルを全て詳しく覚えてはいないんだけど、ベルナルド・ベルトルッチの革命前夜が置いてあったのだけは、今でもはっきり覚えています。

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もちろん、ヌーヴェルバーグなんて言葉も知らないし、当時借りて家で再生しても、なんだこれは。くらいにしか思ってなかったんだけど。)そして高校生になると電車に乗ってディスクユニオン(中古CD屋さん)に通うようになり図書館時代よりも少し選択肢が広がって、そういった中で好きになるアーティストのインタビューを読んでると彼らが影響を受けたものは私が図書館時代に借りて聞いていた60's 70'sのバンドだったりして。

例を挙げ始めたらきりがないけど、本や映画、音楽以外にも写真や美術、家具、ファッションなどあらゆるカルチャーにおいて私は過去のもの、古いものを好み憧れに近い思いを抱いていました。(その延長線で私が今やっているバーレスクという文化にのめり込むことになったようにも思います。)

でもそれが何故なのか、子供の頃から過去の文化に慣れ親しんでは来たけれど、どうして自分がここまで(現在の最先端技術を駆使したあらゆる作品をガン無視してまで)古いものに強く惹かれるのか、理由をうまく言葉にすることができないでいたのです。(過去のものは時代を遡るほど細かな情報が曖昧になっていくので、自分はその余白の部分の中で好きなように想像する事を楽しんでいるのかな。くらいにしか思っていませんでした。)

そんな中、先日訪れた嵐山オルゴール博物館での体験が私に少しの、でもはっきりとした気づきを与えてくれました。

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嵐山オルゴール博物館は、1796年にスイスの時計職人によって発明された世界最古のオルゴールをはじめ、1866年にドイツで制作された巨大な自動からくり時計、そして18世紀後半から19世紀にかけて当時のヨーロッパの人々の技術を集結して作られたオートマタ(西洋の自動からくり人形)がたくさん展示されています。

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古い物好きの私はこの博物館を訪れることをすごく楽しみにしていました。そして入場してから5分後に博物館員さんによる解説を聞くことができ、そこでオルゴールは発明当時高級品であったため貴族だけが所有できる物であったこと、その小さな小さなオルゴールの装飾の豪華さで財力を表現するなど、この時代特有の様々な文化が発展していったこと、その後ブルジョワ階級の人々まで手にすることができるようになり、ディスクオルゴールが作られるようになると一般の市民もビール一杯の値段で音楽を楽しむことが出来るようになったことなどを教えていただきました。

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オルゴールの歴史は音楽の歴史。私が今楽しんでいるあらゆる音楽の礎に触れたようでした。どんなことでもその起源を辿り、知る事は本当に楽しい。

そしてそのオルゴールの技術を使って誕生したのがオートマタです。ここでは100年以上も前に作られたたくさんの作品が所狭しと保管されており、その中の数点は実演を見ることができました。鞴(ふいご)の原理で鳥籠の中の鳥がさえずる物や、内側に精巧な油絵が描かれたドーム型のもの、よそ見している間にノートの中に現れる猿にからかわれる画家をモチーフにしたものなど。(人間モチーフのものはこれ以外にも"執筆中に居眠りをしてしまう作家"や"魚釣りに失敗する少女"のようなものがたくさんあり、人間を人間たらしめる部分というのはこういった少し間抜けな、カッコよくないシーンにこそ現れるのだなと思いました。)

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解説を聞きながらそれらを一つ一つ見ていく中で、100年以上も前に作られ、世界大戦を二度もくぐり抜けてきたこのオートマタたちが今私の目の前で制作当時と変わらぬメロディーを奏で、動き続けている事に胸が一杯になりました。シンギングバードと呼ばれる鳥かごの中の鳥がさえずる作品は、その鳥の羽の色が今も鮮やかに発色していて、これは当時の職人たちがどの羽だったら後世までずっと色が残るかを検証してから制作された物だからだそうです。そんなふうに一つ一つ時間をかけて大事に作られていたオートマタたちを見てたくさんの事を考えさせられました。

産業革命以降、人間は効率よく生産性や利益を上げるためにあらゆる作業を手から機械へと移し、今もなおその技術発展は加速していくばかりですが(あんまり先端技術に詳しくないので多くはわからないが。)人間がその先に望んでいたものは果たして本当に実現されているのだろうか。利益を上げた先に望んでいたものは生活の、ひいては人生の豊かさだったはずなのに。今の時代を生きている私たちよりも、手作業の限界まで技術を高めそれを集約し丁寧にものづくりをしていた、そしてそれを大事に楽しんでいた100年前の人たちの方がはるかに心が豊かだったのではないか。と思いました。

そこで私が気がついたのは、「自分が古い物に強く惹かれる理由、それは "古い物" =それを制作した当時の人々の"心の豊かさ"や"精神性"に共感し、憧れているのだ。」ということでした。

私にオルゴールやオートマタの解説をしてくれた博物館員さんは実演の合間にこんな事も話してくれました。「ここへ来てくださる多くの方は『カワイイ』『スゴい』『ヤバイ』この3つの言葉だけで感想を表しているが、それは本当のコミュニケーションなのでしょうか。」と。

心の豊かさは言葉の豊かさ。そして豊かな言葉が豊かな文化を作るのだと思います。今、私たちの身の回りにあるカルチャーは100年後も存在し、このオートマタたちのように未来の人々へ大事なものを伝えることが出来るだろうか。それはなんだか想像しにくいような気がします。

話が少し遡りますが、先日、増田セバスチャンのインスタレーション作品 "Fantastic Voyage" を見ました。

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作品解説の中で増田氏本人は「想像力の欠如が現代社会の問題だ。」というような事を話していました。このメッセージと私がオルゴール博物館で感じた事はとても近いもののように感じました。

人は一生の中で何かを見て、感じ、考え、行動する。この一連の流れがあるからこそ人間として生きているような気がするし、その、感じたり考えたりする際に "言葉にする" ということが非常に重要で、言葉を失うという事は大切な想像力を失くすことと同義なのではないか。と思いました。

今ではほとんど失われてしまった豊かな言語表現、想像力を取り戻すことが未来を明るくする唯一の方法なのかなと思っています。

世界中不安だらけで色々な物事に大きな変化も生じてきている昨今、大事なことに気づかせてくれた博物館やアート作品に文化・文化施設のあるべき姿を見たようで本当に胸がいっぱいになった最近の私の出来事でした。

終わり



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