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痛みとの付き合い方


これは精神や魂の痛みの話ではなく、身体的な痛みのお話で、深刻なものではありません。

いや、わたしにとってはそこそこ深刻な事態でしたが。

年の暮れのある日、半端ない耳の閉塞感に見舞われまして、難聴になったらコトだなと病院に行ったんですが、そうしたら驚くべき病名を告げられたのです。


外耳道真菌症


つまりですね。耳の中にカビが生えた、ということらしいのです。

人にカビが生えるという話は聞いたことがあったけど、まさか自分がその当事者になるとは、なんたる不名誉。最悪です。

でもここまではある意味想定内でした。
想定外だったのはその治療の痛みです。

酢酸を使った耳浴を15分。
これもそこそこ痛くて、1分くらいなら耐えられるけど、15分ともなるとひたすら長くて、持っていた本を開く気にもなれず、ただただ目を閉じて痛みを耐えておりました。

でもそれはまだ序の口。

そのあと先生に小さな掃除機のようなもので耳の中を吸引されるのですが、それが兎に角痛い。耳鼻科で大号泣する三歳児が心底羨ましくなる程、痛いんです。できたら号泣したいけど、大人だから無駄に冷静を装います。でも本当に痛くて、低めの声で恨みがましく
「、、め、めちゃめちゃ、、いたいです、、、」
と伝えるのが精一杯。

先生はロキソニンを処方して下さいました。

診察室を出たあとも、暫く痛みで放心状態でした。会計でお金払うときも、痛みでふらふらして立つのにも必死でしたが、看護師さんに「先生からも聞いてると思いますが、数日おきに通ってください」
と云われて、数日おきにこの痛みと付き合わねばならない、という事実に気付いて愕然とするのでした。

自宅では夫も娘も薄情なもので、この痛い治療に同情してくれる筈もなく、わたしにカビが生えたことをネタにそれはそれは楽しそうに盛り上がっているわけです。

それでも尚、治療がどれだけ痛いかを説いて、子どもみたいに耳鼻科に行きたくないと嘆くわたしを見兼ねて、娘がアドバイスしてくれました。

─痛さを紛らわす方法、教えてあげよっか?

なにそれ?

─それ以上の痛さで、何処かをつねるんだよ。

そしたら、痛い上にさらに痛くなって泣き面に蜂的な状態じゃない?

─違うよ。痛いほうのことしか認識しないよ?

え。痛いほうを認識するんだったら意味あるん?

─うーん。でもつねる方はコントロール可能な痛さだから耐えられるんだよね。

まじか。

娘の短い人生の中でそんなに痛いことがあったとは知らなかった、可哀想だったと思いましたが、今は取り敢えず自分のことで手一杯なわたし。老いては子に従えと、早速次の治療で実践することにしました。

結果、うまくいかず。

手の甲をつねったら「痛い!なんでこんな目に?そうだ、耳が痛いんだった!耳も痛いやん!」とすぐ耳のことを思い出して紛らわすことに失敗。

娘に結果報告したところ、つねり方が甘い、痣ができるくらいじゃないとダメ、と駄目出しされてしまいました。

無理だ。そんな自傷行為。

徹底的に自分に甘いのが災いして、治療中の耳の痛みをどうにかすることはできませんでした。

そうこうするうちに、治療中の痛みもなくなり、通院も一週間に一度になったので、もう痛みを紛らわす技は必要なくなったわけですが、

痛みとの付き合い方は人それぞれだな、としみじみ思ったのでした。

打撲なんかの外傷なら、さすったらちょっとは違うから、自分や娘をさするけど、さすっても駄目な痛み、またはさすれない痛みのとき、その対処方法は人それぞれだなと。

そういえば出産のとき陣痛室でも同じことを思ったな。声を出さずにはいられない人、旦那さんやお母さんに色々してもらう人、静かに耐える人。

わたしはひとりでじっと耐えるタイプ。夫に「触らないで。話しかけないで。そっとしておいて。」って言い放った覚えがあります。励まされたり、触られるのは嫌でした。じっと、ただ耐えた時間。結局、耳の痛みもじっと耐えるだけでした。修行みたいに。

今回、親子なのに娘はわたしとは全然対処方法が違うことが判明しました。娘の方が思い切ったことをするんだなあとちょっと驚きです。

だから、他人が自分と同じ方法で痛みを紛らわせることができる、なんて思わない方がいいのかもしれません。もしかしたら心の痛みも。

そこで、元気な時に自分の痛みの対処方の傾向を身近な人に話しておいたらどうかな、なんてことを考えました。

単なる興味かもしれませんが、家族みんなの痛みの対処方の傾向、把握したいです。




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