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淀みなく流れゆく

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず

あまりにも有名な方丈記の冒頭です。
これ、たまに頭の中に降ってきませんか?

仲の良い友人が引っ越してしまう、とか。
お気に入り球団の大黒柱がFAで去る、とか。
いい感じの職場環境だったのに異動、とか。

どちらかというと、わたしの場合、幸せな状態が崩されるときにこの一文が降ってきて、

長明さん、ほんまにそうよね。

と、溜息をついたりするのです。

ただ、自分を取り巻く環境が変化するのと、変化しないのと、どちらの世界を選ぶか、と聞かれたらわたしは変化する世界を選ぶのだと思います。

しんどい状況のときに、状況はいつか変わる、と信じることができるから。

もちろん変わって欲しくないことは沢山あるけれど、変わらない閉塞感に押しつぶされるよりは、変わってゆく世界を楽しめる自分でいたいのです。

大きな河を流れる笹舟のような存在のわたしなので、変わりゆく景色に切なくなっても、のんびりと流れている限りは大丈夫だ、という変な自信があるのです。

その代わり、淀みにはまって笹舟がその場をくるくると回り出したら、それはわたしにとってピンチです。

そんな時はまた流れの中に戻るために、笹舟に乗るわたしは櫂を持ち、ヨイショっと力を込めるのです。

時には、周囲を驚かせるような思い切ったこともするけど、それは淀みから抜け出すためだった、と思えます。

時々淀みにはまりながらも、これからもきっと流れてゆくのだろうと思います。

小さな笹舟にとっては、毎日のすべてが奇跡のように尊いものです。

いま世の中に蔓延する閉塞感も、いつまでもずっとこのままではない、と密かに信じています。

笹舟にとって、絶望しないことと、沈まないことが大きな河への抵抗です。

淀みなく、流れてゆけますように。

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