読書:濃霧の中の方向感覚

先日読み終えた本をご紹介。

鷲田清一 著
濃霧の中の方向感覚

臨床哲学者である著者が2014年から2018年に発表した文章を集めて、一冊にまとめたものです。
臨床哲学なんて耳慣れない言葉に怯んで難解なのかと思いきや、哲学にゆかりのないわたしみたいな人にも大変読みやすく書かれていて、思索の道先案内となるような一冊です。

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https://www.amazon.co.jp/濃霧の中の方向感覚-鷲田清一/dp/4794970668

とても気持ち良く読みました、と云ったら何だか変な感じですが、著者の物事の捉え方や、感じ方には共感するものがとても多くて、わたしが普段言葉にできずにもやもやと思っていることを、スッキリと言語化して下さるので、胸がすくような思いで読み進めました。

例えば藤田省三氏の「安楽への全体主義」という言葉を引用して説明した後に、わたしたちが享受してきた「安楽」は、わたしたち自身のある能力喪失と裏腹だ、と語ります。
わたしも現代社会では人が本来持っていた能力を喪失させられている、と考えることが増えていたのですが、所詮そこまでの思考しかありませんでした。ですが、著者は思考停止せずにその能力を再び構築する術やヒントをきちんと掘り下げて考えさせてくれるのです。

それにしても引用の「安楽への全体主義」って凄い言葉だな、時々感じる便利さへの違和感ってこれかもしれない、などと感服してしまうのでした。

また「自由」について、「幸福」と「幸福論」について、「つくる」こと、「ブリコラージュ」について等、文化についてのカテゴリーは身近な生活の視点から思考を導いてくれます。

「正しい大きさの感覚」という文章の中の詩人の長田弘氏の「正しい大きさの感覚が認識を正しくするのだ。」という引用にはっとしました。
スマホで拡大や縮小をして見ていると、ほんとうの大きさが分からずに、不安定な感覚になることがあるなあと。リアリティの尺度を知らず知らずの間に奪われているという気付きを得たのでした。

「心のアトム化」にはメディアが流す細切れのコンテンツについて憂いています。医師の稲葉俊郎氏の言葉を引用してこう綴っています。

音楽やトークを楽しんでいたとき、間にCMとニュースが入り、ある少女の誘拐殺傷事件を知らされた。人の心にそんなふうに踏み込むのはひどく暴力的なことだが、それを当然のように受け入れているうち、人の感情はモザイクのようにばらばらにされてゆく。誰かの死ですら一片の情報にすぎなくなって、人を悼む気持ちもすっと立ち上がらない。

人が想像力を失って電車の人身事故で舌打ちしたり、政治家が精神の崩壊を感じさせるような無神経な発言をしたりする現代。様々な人間的な感情の養いを拒むものがメディアに巣くっているのではないかと結んでいます。

いや、全く言語化できてなかったけど、わたしも常々凄く感じてたことだったので、何だかとても有難い気分になりました。

そして、身辺雑記のカテゴリーにある「哲学」についての様々な試み、臨床哲学や哲学カフェの話も興味深く、哲学カフェにいつか参加してみたいとも思いました。

メモの書き起こしなので、何だかまとまらずに恐縮ですが、わたしの筆力ではこの本の良さがお伝えできないので、是非読んで頂けたらと思います。

わたしは普段考えていることが周囲と噛み合わないことが多い人間で、あまり共感されるタイプではないことを自覚しているのですが、裏返すと自分が共感することも案外少なくて、読書の時もついつい批判的に文章を読んでいることが多いのです。

けれど、この本の文章はそういう気持ちにならずに大きな共感を持って読み終えて、とても気持ちの良い読書体験となりました。

読書ノートを持たないので、メモをまとめる意味でnoteに記しておきます。

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