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あめふりくまのこ

童謡のなかで、小さな頃から妙に心惹かれるお気に入りの曲があります。
鶴見正夫さん作詞、湯山昭さん作曲の「あめふりくまのこ」という歌をご存知でしょうか。

以下に歌詞を引用させていただきます。

■あめふりくまのこ■
鶴見正夫作詞・湯山昭作曲
 
おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できました
 
いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました
 
なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました
 
それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました
 
なかなか やまない あめでした
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました

ほのぼのと、かわいいですよね。
お魚に会えなくて水をひとくちのむところとか、おがわをのぞきこむ雰囲気ったら、、。

ただ、よくよく歌詞を見ると、すこし寂しげな情景でもあります。

母はこの「あめふりくまのこ」がわたしに似ていると、この歌をきくたびに云うのでした。 わたしがのんびりしていてクマっぽいということもありますが、どちらかというと、この少し寂しげな情景と幼い頃のわたしがリンクしているようです。

たしかに幼い頃のわたしは聞き分けの良い長女で、妹の世話に忙しい母を困らせることなく、この「くまのこ」のように、ひとり遊びが好きだったようです。
それを特段にさみしいとも思っていなかったとこなんかは、ちょっと似てるかもしれません。

母は、未だに幼いわたしが寂しそうに遊んでいた夢を見て、小さい頃は可哀想だったと突然謝ってきたりするので、よっぽど放置されてたのかもしれませんが、妹が生まれた時わたしは2歳になる前でしたから、正直覚えていないのです。

ともあれ、わたしがこの曲の寂しさについて気がついたのは随分大きくなってからのことで、小さい頃はそんなことは考えず、ただこの「くまのこ」がとっても好きでした。
こんなお友だちがいて、雨の日に一緒に魚を待ったりしたら楽しいだろうなぁと思っていました。

いたずらくまのこにとっては、雨に濡れることも、来るはずのないお魚を待つことだって、
きっと楽しかったのに違いない、と今でもわたしは思っています。

小さいころって、どうして意味のないことがあんなに楽しかったんでしょうね。
意味のないことだから楽しいのかな。

歌のなかの「くまのこ」はいつまでたってもこぐまのままなのに、いつのまにかわたしだけが降り続く雨の中で、電車の運行ばかり気にしているような大人になってしまいました。

だからこそ愛おしく懐かしいお気に入りの曲なのでしょうね。

わたしの胸の奥の方に、小さなくまのこが住んでいて、大人のわたしの心を時々ノックしているのかもしれません。


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