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小説「美しい郷」 第二話

 朝。目を覚ますとタケチヨが鳴いていた。タケチヨとはこの方のことだ。

 タケチヨという名前を付けたのはみっちゃん。
 タケチヨはこの辺りを縄張りにしているウグイスなのだが、鳴き方が「ほー、ほけきょ」ではなく、「ほー、ほけきよ」と小さい「よ」まではっきり大きく鳴く。それが「おーい、タケチヨ」と呼んでいるように聞こえるらしく、みっちゃんは彼に「タケチヨ」という名前を付けた。よく聞いてみると確かに「おーい、タケチヨ」と呼んでいるように聞こえるので、僕も彼のことをタケチヨと呼んでいる。
 タケチヨは無類の強者で、他のうぐいすが縄張りに侵入してこようものならすぐ追い払い、彼以外のうぐいすが鳴くのをほとんど聞いたことがない。ここはタケチヨの天下なのだ。
 朝と夕はうぐいす以外にも色々な鳥がさえずる。例えばこの方。

「ちょっとこい、ちょっとこい」と鳴く、コジュケイという名のなんとも声の大きい鳥である。だが未だ一度もその姿を見掛けたことがない。声は派手に聞こえているのだが、なかなか姿を現さない。僕の野鳥観察のスキルが未熟であることは言うまでもないが、周囲を鬱蒼とした山に囲まれていては野鳥の姿を見つけ出すのは一苦労である。しかし春先には「いっぴつけいじょうつかまつりそうろう」と鳴くホオジロを見たし、メジロやシジュウカラ、オオルリなどの有名な野鳥も見付けるが出来た。
 さらに初夏になると、ある珍しい鳥がやってくる。それがこの方。

 アカショウビンという野鳥で、東南アジア方面から飛来してくる渡り鳥らしい。このアカショウビンの囀りはとても特徴的で、「ひゅるるるるるるる」と美しい音を奏でる。最初に聞いた時は一体どんな姿をした鳥が鳴いているのだろう、と慌てて外に出てみたくらいだ。いや、実は最初鳥が鳴いているとすら思わなかった。とても綺麗で幻想的な囀りなので、ぜひYou Tubeなどに投稿されている動画で聞いてみていただきたい。

 そんなこんなで前置きが長くなったが、朝目覚めるとまずは顔を洗って畑の様子を見に行く。水やりが必要な野菜に水をやるのと同時に、野生動物がやって来て荒らしていないか点検するためだ。この辺りに出没する野生動物はシカ、サル、イノシシ、キツネ、タヌキ、アナグマなどで、畑の農作物への被害が度々起こる。ここらの人達は専ら電気柵を設けて野生動物の侵入を防いだり、夜中に癇癪玉を鳴らして回る人もいたりする。最近は猟師の数が減ってシカやイノシシなんかが多く繁殖している、という話を組合長さんから聞いたが、僕もそろそろ電気柵の設置を考えなくてはならない段階にきていると思う。
 畑から戻ると軽く朝食を食べ、午前中いっぱいはコーヒーを片手に依頼されている仕事をPC上で片付けていく。主に研究論文関係の仕事だが、ここで詳しく語るのは割愛する(ちなみに電波は意外と届いていて、僕は定額無制限プランのWi-Fiを利用している)。
 午後は昼食を食べた後に食器を片付け、掃除、洗濯、必要があれば近くの個人商店に買い物に行き、夕方ごろに畑仕事をして後は以前書いたように夕食の準備を終えた頃、みっちゃんが仕事から帰ってくる。一緒に動画を観ながら夕食を食べ、「また明日ね」と別れる。そんな毎日がここではゆっくりとした時間と共に過ぎていくのだ。

 この地域は限界集落で、「限界集落」とは地域人口の50%以上が65歳以上の集落のこと。僕がここまで話した中に出てきたみっちゃん、二軒隣の川島さん家族など若い人や子供のいる世帯は珍しい方で、町全体で見ると全人口4500人弱のうち、65歳以上は2800人程度というデータがホームページに掲載されていた。
 僕の家を取り囲むお隣の方々も八十代、九十代が多い。前回話した吉平さんを始め、僕の家の裏には九十代のお婆さんが一人で暮らしており、その隣にも八十代後半のお爺さんが一人で生活している。畑なんかで顔を合わせる機会があれば話をするし、お茶に呼ばれてそのまま食事まで頂いたりする。八十代、九十代と言っても皆快活で、元気な人達が多いイメージだ。だが時にはハプニングも起きる。
 裏の家で生活している九十代のお婆さん、名前は久子さんというのだが、一年ほど前のある日の正午ごろ、僕がPCと睨めっこして仕事をしていると、「じゅんぺいさーん、じゅんぺいさーん」と大きな声が家の裏から聞こえてきた。何事かと思って家の裏に回ってみると、一段だけ高い段差のある石垣の上から、植えられたツツジの間をくぐって僕の家の狭い裏道の方へ久子さんが転がり落ちてしまっていたのだ。どさりとも音が聞こえなかったのは、僕が仕事に集中していたためか、上手いことごろんごろんと転がり落ちたのか分からないが、幸いにも大きな怪我はなかった。しかし少しだけ腰が痛い、というので、僕は自分の乗用車に久子さんを乗せ、片道一時間ほどで着く町に一つだけある町立病院へ連れて行った。骨折はなく、軽い打撲ということであったが、腰に貼る湿布を処方され、一人では貼れないので、一週間ほど朝と夕に僕が湿布を張りに久子さん家を訪れることになった。お礼の野菜をたっぷり貰い、その一週間は毎日久子さん特製の煮物や漬物を食べることができた。みっちゃんにもこの話は届いていたようで、「ありがとう。ごめんね」と申し訳なさそうに言われた。ケアプランを作成し、定期的に訪問をしていたようだが、要支援と要介護の間で判断が揺れているケースでもあったらしい。詳しくは専門家でないのでよく分からないが、久子さんのような方は他にも多くいるとのことだった。
「じゅうぺいさんって、誰のことなんだろう」
 僕がそう呟くと、みっちゃんは「十年前に亡くなられた旦那さん」と静かに答えた。
 僕はそれ以降、暇が出来た時にはちょくちょく久子さんの顔を見に裏の家へ遊びに行くようにしている。

< つづく >


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