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歩みつつ垣間見た美しい時の数々(2000)/ ジョナス・メカスの瞬き


監督:Jonas Mekas 製作国:アメリカ / 上映時間:320分 


ジョナス・メカスはリトアニアの詩人・映像作家です。60年代を代表する芸術運動フルクサスなどアメリカの現代芸術を支えた重要なアーティストの一人でもあります。現在赤坂で「ジョナス・メカス特集 故郷はどこに -- 詩、日記、映画を読む」開催されていますが、(6月2日より再開)最近ジョナス・メカス「歩みつつ垣間見た美しい時の数々」をその予習として鑑賞してゼミ発表向けにまとめたときのメモ。


思考と瞬き

「瞬き」とは、眼が乾かないようにするための生理現象であります。しかし、例えば天井の隅から目の前のパソコンの画面へ視線を映すときにする瞬きは単にその乾きを潤すためだけではありません。必用なものだけを並列させて比較するために、その間にある余計な情報を見ないようにしているのです。これを映画に置き換えると、映画においてカットとは「編集者が観客に代わって瞬きをしてあげている」と言うことができます。映画のリズムは観客を巻き込み、瞬きはその思考と連動します。

 詩人であり映像作家でもあるジョナス・メカスは49年から16ミリカメラで友人たちや家族、街、植物など日々の暮らしを手持ちカメラで撮影し、時にはそれを詩として残し、その断片をつなぎ合わせた「日記映画」のスタイルを確立しました。「歩みつつ垣間見た美しい時の数々」(2000)はその日記映画のひとつであり、異常なまでのカット数で構成されています。小さな変化を追う連続もあれば、いきなり夜の繁華街にジャンプしたり、時にはジョナスメカスの詩が挿入され、どこかの誰かの会話も聞こえてきます。これらは単なる日常の記録であるにもかかわらず、5時間近くあるこの映画全体がふわふわした白昼夢、あるいは走馬灯を連想させます。

ほんの小さな動きでもカットが入るこの映像において、彼は意識的に多くカットをしていたというよりは、我々が情報の取捨選択のためにする瞬きのように、自分の直感に従って人生の多くの瞬間を記録していたのでしょう。彼はその行為を「ちっぽけで目につきにくい、誰にも気づかれない瞬間」」を「祝福する」と表現しています。(素敵...)


人生との向き合い方


スマートフォンの普及もあって、日常の小さな瞬間を記録することがすごく簡単になりました。普段自分で撮影する瞬間も、自分の直感に従った、自分の目で視たものの世界を「祝福」していることに近いのだとは思いますが、自分の写真をほとんど撮らない / 撮られない自分にとって、ジョナス・メカスの作品たちは彼自身の目を通して見える彼の人生ではなく、誰かの視点、誰かの声、誰かの直感も含めたコラージュ的な「日記」であるように感じます。

「歩みつつ垣間見た美しい時の数々」という邦題からもわかるように日常のなんでもない様子でさえ美しいと感じ、その感情のままカメラのシャッターを切る、あるいは録画をすることで全く別の人生を歩んでいる我々でも、彼の生々しい日常に対していつかどこかでみたことがあるような、ノスタルジックな感覚を覚えます。


まとめ

昨年亡くなったジョナス・メカス。こちらで多くの作品を観れますので是非。

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