お母さんにはなりたくない。

我ながらひどいタイトルだなと思う。でも実家に帰ってきて私はその思いを強めたのだ。

お母さんには絶対なるものか、と。

母の一日は大変だ。朝起きて朝食と弁当を作り父を送り出し、自分もパートに出社する。退社後ジムに行って体を動かし、帰ってきたら犬の散歩をしてごはんを作る。ごはんを食べたら洗濯したりしてから寝る。ごはんを食べた後とジムに行っている時間くらいしか、自分の時間というものがない。私は想像するだけで気絶しそうだ。何より毎日の食事を作ることに私は耐えられない。これで私達が子どもの頃は育児もあったって? 気が遠くなりそうだ。絶対に、やりたくない。

私は料理も育児も何一つできないからそういうのを全部お手伝いさんがやってくれるような家であればお母さんにはなることができるかもしれない。正直に言おう。私はアセクシャルでノンセクシャルだけど、「いてくれたらそれでいい」、「子どもを作ってさえくれたら家事も育児もしなくていいし働かなくていい。好きなことして暮らしていいんだよ」なんて契約の結婚が目の前に提示されたら、お母さんになりたくない意思がちょっと揺らいでしまう。前者ならお母さんにならなくてもいいし。

でも本音を言うと産むの怖いから卵子提供だけで生活を保障してくれないかなとか思ってもいる。この結婚、仮定だけど愛がないなあ。愛がない結婚はダメではない。利害が一致していれば結婚生活はできる。

この思考を見てわかるように、私がお母さんになりたくないのは、ほぼイコールで家事や育児をしたくない、と言うことができる。子どもを抱くだけで震えが止まらない子ども嫌いなのでそれも当然だけど。じゃあ家事と育児を免除されるならお母さんになってもいいのかと言われると頷きにくい。卵子を採取されるくらいならいいけど、自分でお腹痛めて産むのは嫌だ。怖いから。

お母さんになりたくないのは母の大変さを見てしまったからだと思う。こんなに大変なら私は結婚も子どももいらないなって思ってしまった。こうやって少子化が進んでいくんだな。

子育てはしたくないんだけど、自分の遺伝子が入った子どもというのにはとても興味があるから難病患者でもいいなら卵子提供とかしてみたいね。

執筆のための資料代にさせていただきます。