価値観の重なり合いについて、思うこと。
最近・・・いや昨年から、ワタシ史上最大の「人との繋がり」が生まれている。
リアルで繋がった方たちはもちろん、Twitter上だったり。先日の分身ロボットカフェでは、遠隔地にいるOriHimeパイロットさんとも繋がることができた。
「繋がる」ということの定義だったり
「友達」や「知り合い」の定義だったりの区別について、
ワタシはさほどこだわらない。
とにかく会話や文字だけでもコミュニケーションをとることができている相手なら、ありがたくその関係性を受容したいと思っている。
価値観の重なり合いについて、思うこと。
人と繋がることで、いちばん興味を惹かれるのは「その人なりの価値観」だ。
もちろん、Twitter上で一言二言交わしただけでは、完全にその人の価値観を知ることはできない。
それでも、その人が使っている言葉や絵文字や行間ですらも、その人の考えや癖のようなものを感じる時があるのだ。
とはいえ、価値観なんてものは、自分で自覚している人がどれだけいるかわからないし、環境や意思により変化していくものだ。
ともすれば考えの押しつけにもなるし、生きづらさにつながることもあるかもしれない。それが人の価値観だ。
価値観の重なり合いは、目に見えないだけだ。
社会という空間に、羽を広げるようにお互いを干渉し合っている。
どうせ干渉し合うのであれば、丁寧に干渉し合いたい。
そんな願望を抱きつつ
今日一日も、いろいろな人と繋がる。
繋がるということは、
点と点が存在すること。
点が見えていること。
繋ごうとすること。
点と点を繋げられる存在になること。
点を探しにいくこと。
価値観の重なり合いは、ワタシに様々な思考を与えてくれる希望だ。
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