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目が合ったと、思ったら。

例えば一日家にいても、誰かとコミュニケーション取れるというのは、ワタシが子供の頃だったら電話だけだった。

今は令和。SNSで多くの人とコミュニケーションが容易に取れる。
改めて思うと、すごい進歩だ。

この noteだって然り。
こんな超一般人のワタシの、取り止めもない文章が誰かの目に触れるなんて、すごい世の中だ。


さて、多くのSNSの機能として「いいね」というのがある。
正直、この「いいね」をもらえると嬉しいし、アウトプットの励みになる。

先日、ちょっとした飲み会に参加した時に「知らない人のコメントにも、いいねできるか?」という話題が挙がった。
Twitterなどは特に、何の気なしに知らない人のツイートにも「いいね」をしていたワタシ的には、ちょっと驚いてしまった。

「知らない人のツイートだと、はずかしいというか、ハードルがあって、いいねできないよね」
という方が数名。

何も考えずに「いいね」している組に入ったワタシとしては、堂々とするというよりも、『深く考えない自分』というところに焦点があたってしまっていた。


目が合ったと、思ったら。

この話題は特に長引くわけでもなく、気づいたら別の話題に移っていったのだけれど、その後しばらく『深く考えない自分』を少しだけ深く考えている自分がいることに気づいた。

気づいたけれど、結局放置した(笑)

もっと真面目に、深堀りした方が良かったのかもしれないけれど、ことにSNSの「いいね」に関しては、深く考えずに感覚的にした方が自分らしくて良いと思ったのだ。

目が合ったら、何となく会釈する。
目が合ったら、何となく表情を緩める。

良いツイートだと思ったら、
初めて見るアカウントでも「いいね」しちゃう。

そして、「いいね」しない人の気持ちも分かる。

深堀りまではいかないけれど、こんな「いいね」の判断ですら、その人の性格や資質や感覚に左右されることが非常に面白い。

しばらくしたら、ワタシの感覚も徐々に変化して、やたらめったら「いいね」しなくなるかもしれない。
この時には、きちんと自分の変化を深堀りしたいと思う。

ああ、そう。
この noteを投稿したら、「いいね」と「スキ」をしにいかなくちゃ。


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