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私だけの「おかあさん」じゃなくなった日。


うちの娘は、今は大学生。
そんなに賢くはないけれど、妙にドンと構えているところがあって、頼りになる。

数年前の夏場、住んでいるマンションが大規模修繕となり、一ヶ月くらい窓を開けることができなかった時期がある。酷暑だというのに空気の入れ替えができなかったことが原因なのか? その時だけ、ゴキちゃんが初めて我が家に出没した。

「ひぃーーーーーーーーーーー」
と絶叫し、隠れる息子(当時小学生)と私。

「ちょっとまってー」
と、ゴキちゃん退治用のスプレーを手にする娘(当時中学生)。

「やっつけたー。どーしたらいい?」
「えぇっ!すごい!。ティッシュで包んでビニール袋に入れて欲しい。」
「わかったー。」

いやもう、息子と私にとって救世主以外の何者でもなかった。
めっちゃ頼りになる。


私だけの「おかあさん」じゃなくなった日。


そんな彼女は、弟が生まれてから数ヶ月、壊れたオモチャみたいになったことがある。

今だから笑い話にできるが、当時は私も気が狂いそうだった。
朝起きること。トイレに行くこと。歯磨きをすること。食べること。着替えること。お風呂にはいること。出かけること。眠ること。
完璧にできていた、その一切が全てできなくなったのだ。
そして、一日の半分は絶叫して泣いている。

改めて書き出してみると、正真正銘の「赤ちゃん返り」であることが判る。
かたや、生まれたばかりの息子は、びっくりするぐらい手がかからなかったことが救いだった。
けれど、彼女が壊れていたおかげで、息子の名前を決める時間も心の余裕もなく、二週間以内に提出しないといけない出生届に書く名前も前日の夜まで決められなかったのだ。

この世に生を受けた、うちの息子は、二週間「ボク」と呼ばれた名無し君だったのだ。


彼女の生活の中で、「おかあさん」は全てだった。

何をするにも「おかあさん」と一緒。
いつも自分のためだけに話をしてくれる。
いつも自分だけのために歌を歌ってくれる。
いつも自分だけのために絵を描いてくれる。
いつも自分だけのためにご飯を作ってくれる。
いつも自分だけのために本を読んでくれる。
いつも自分だけのために・・・。

結論。
いや、わかるけどね。普通に困るわ。
いい加減にしろ。


・・・・・ひと悶着、ふた悶着?、さん悶着?・・・


壊れたオモチャは、「おかあさん」を取り戻したのだ。
判りやすく言うと、変化に慣れた彼女は、「おかあさんと、弟を育てる」という気持ちになったのだ。

そう仕向けた私がいちばん頑張った。笑

とはいえ、何となく「おかあさんと一緒」という一体感を自分の中に取り戻した彼女は、メキメキと頼もしい存在に育っていった。

ま、そんなに賢くはないんだけれど。

元旦に、彼女に「今年の目標」を聞いてみた。
そういう質問・・・苦手・・・と言わんばかりの苦い顔をしてから

「強く、激しく、元気良く」
という、今年二十歳を迎えるのが、かなり不安になるような回答をしてきた。
そして、既に毎日、この目標を達成している強者なのだ。


何だか簡単な目標であることが解せないながらも、
母は、
強く、激しく、元気の良いあなたが、愛おしくてたまらないのだ。



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