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令和源氏物語 宇治の恋華 第二百十一話

 第二百十一話 小野(五)
 
中将が去った後の小野の草庵では浮舟を囲んで尼君や女房などが昔語りを始めました。
尼君「あの中将殿は亡き娘を今でも慕って見舞ってくださるのですよ。ほんにお優しいこと」
女房「ご本妻は藤中納言の姫と聞きましたが、あちらは権門でいらっしゃるでしょう。どうにも我儘な御方らしくてあまり熱心に通ってはいられないという噂ですわ」
女房「亡き姫さまは鷹揚なご気性でしたものね。我儘なご本妻ではさぞかし気苦労も多いことでしょう。中将さまが姫を懐かしむのは致し方ありませんわね」
そうして侍従という浮舟付きの女房は傍らにじっと押し黙る浮舟をしげしげと見つめて本音を吐露せずにはいられません。
「あのような御方がまたこちらに通ってくださるとうれしいですのに」
女房「ほんに。姫さまならばお似合いの夫婦となられましょう」
浮舟はまさかこの期に及んで誰かの妻になるなど考えもしないことでしたからとんでもないと顔を背けます。
少将尼「そう言えば、中将さまは姫が御座所を離れようとした後姿を垣間見られたようですわ。それはもう心惹かれたように姫のことをお尋ねになるのですもの」
浮舟は自分の迂闊さを恥じ、衝撃のあまり臥してしまいました。
「わたくしはむしろ御仏に心を寄せとうございます」
まったく尼とそれに仕える人々でありながら、どうしてこうも俗っぽくいらぬ世話を焼こうとなさるのか。
尼君「まぁ、まぁ。この人を困らせてはいけませんよ。結婚はご縁のものですからねぇ」
そう口では皆を嗜めても、本心ではそのようなことになればこの上ないこと、と願う尼君なのです。
「ねぇ、姫や。皆の軽口はわたくしが代わってお詫び申し上げるけれども、あなたの身の振りには確かに悪くないお話でありましょう。まだ若い身の上ですし、こんなに美しい御身が尼になるなど悲しいことですもの。わたくしが生きている間は力の及ぶ限り、それこそ娘と思って御身をお守りしようと思いますが、世は無常ですので何時如何なることかわかりませんわ。頼もしい夫を得るというのも女の生きる道ですよ」
そうでなければ生きては行けぬ女の身の哀れさに浮舟は涙をこぼしました。
「尼君さまこそ如何なるかわからぬ身などと悲しいことをおっしゃらないでくださいまし。母と慕う尼君さまだけが頼りのわたくしですのに」
「泣かないでくださいな。わたくしはあなたのことを心底心配しておりますのよ」
「わかっておりますわ。ただ記憶もなく頼りない身の上が心細くて」
かわいい姫がさめざめと泣くのが可哀そうで尼君は背中を優しくさすって皆を諌めます。
「みなさん、中将さまのお話はここまでに致しましょう」
「でも、尼君さま。中将さまは御山からの帰途にもきっとこちらにお立ち寄りになるに違いありませんわ」
「それはまたそうなったら考えることとしましょう」
生きているうちはこうした煩わしいことが尽きぬものか、と浮舟の目はまた彼岸に向けられるのでした。



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