見出し画像

『光る君へ』第30話を観て・・・ ※ネタバレあり

みなさん、こんにちは。
『令和源氏物語 宇治の恋華 第二百八話 幽谷(二)』は明日8月10日(土)に掲載させていただきます。
本日は『光る君へ』第30話の視聴感想です。


 またまた天災

度重なる疫病に大水、そして今度は旱魃とは、まったくもって不穏な一条天皇の治世です。
巻頭で市中に果物を求めに出かけたまひろ(吉高さん)と乙丸(矢部太郎さん)ですが、もちろん手に入るわけもなく、人々は水をめぐって争っておりました。そして自邸の井戸まで枯れてしまったことで暗澹たる状況に陥ります。
殺伐とした民草を顧みることもなく、一条天皇は定子を偲んで政事を顧みません。不徳の天子御自ら、200年ぶりといわれる雨乞いの神事を執り行っても天は嘲笑うかのように帝の願いを聞き入れてはくれませんでした。
陰陽寮ではすでに安倍晴明(ユースケさん)は引退しており、後任の陰陽師たちには才気のあるものはいないモヨウ。
市井の荒廃を目の当たりにした道長(柄本さん)は、頼みの晴明を訪ねるのでした。
引退しても眼光にはいまだ鋭い光を宿す晴明は、命を賭しての雨乞い祈願に道長は何を差し出すのかと問います。道長はそれに「私の寿命を10年やろう」と応え、晴明は雨乞いを承諾しました。
そして鬼気迫る雨乞いの後に見事雨が降ったのでした。
この出来事は『御堂関白記』に記されており、晴明の祈祷が成就したと一条天皇に認められて御衣を賜ったとあります。
こうした雨乞いは神泉苑にて行われるのが常ですが、ドラマでは晴明の私邸で行われた風でしたね。
神泉苑は794年に桓武天皇によって造営された溜池です。天皇の行幸などが行われましたが、雨乞いの為の神聖な場所でした。
824年の淳和天皇の治世で深刻な旱魃に見舞われた際、勅命によって空海が神泉苑にて雨乞いを行いました。この時その勧請(願いを聞き入れてくれた)に応えたのが北インドの池に住まわれていた善女龍王でした。
以降、善女龍王が祀られ、雨乞いは神泉苑にて行われていたはずですが、ドラマは予算もありますので、セットにて撮影されたようですね。
ともあれ雨を降らせた晴明は精根尽きるように倒れ伏してしまいます。
壮絶でした。

 カササギ語り???

まひろは和歌などを文学の教授すべく藤原公任(町田啓太さん)の妻の敏子(柳生みゆさん)の主催する会で講師を務めております。
しかしながら、言葉が難解なのはちょっといただけないですね。
学者にはありがちなことですが、みなさんが自分のレベルと同じ言葉を解するというのが前提らしく、配慮も遠慮もなくそのまま意見を述べてしまうので、生徒たちは「???」なわけです。
(私の父は大学教授でしたが、やはりそういう傾向が見られました)
まひろの頭でっかちは昔通りに健在ということになりますね。
30話ではとうとうあかね(後の和泉式部/泉里香さん)が登場します。
和泉式部は夫がありながらも東宮・為尊親王と恋に落ち、東宮が亡くなるとその弟の淳道親王とも恋に落ちる、という実に華やかな恋愛遍歴の持ち主です。そしてその素直な恋情を綴った文章は奔放で現代女性でもファンの多い女流歌人ですね。
あかねはシースルーの袿という実に艶な御姿で登場しました。そしてお慕いする親王との恋に一喜一憂、全身で恋をしております。
ドラマでは最近噂の『枕草子』をつまらんと切って捨て、まひろの『かささぎ語り』のほうが面白いと評します。
内容からすると『とりかえばや物語』(大臣の子である男女がそれぞれの気質にあわせて性別を入れ替えて育てられる物語)と思われるのですが、結びの部分を聞くやカササギは傍観者でストーリーテラー、そして「罰を与える」という一文がありましたので、「神」なのか???
よくわかりません結びでしたが(生徒たちもよくわからんと言ってましたね)、何故カササギなのかが最大の疑問です。
カササギという鳥は現在は全国にいるようですが、九州などに多く分布しておりましたが、日本自生の野鳥ではありません。
韓国に多く見られる鳥です。
16世紀に秀吉の朝鮮出兵の時に「カチ、カチ」(=勝ち)と鳴くことから縁起よい鳥として持ち帰ったというのが有力なようです。
そうなりますと平安時代に存在していたのか?
が最大の疑問であり、時代考証またガン無視???
そして、なぜにカササギ? 
スズメでは、身近すぎるのか?
考えあぐねてカササギにひとつだけ心当たりがあります。
それは七夕伝説で、織姫と彦星は一年に一度の逢瀬を許されましたが、雨が降った日には、天の川が増水し、カササギが連なって橋となり、織姫と彦星を助けた、という逸話からではないかと。。。
あんまり関係ありませんが、神様がらみだからでしょうか?
しかして源氏物語を現代語訳している私ならばどの鳥にするかと考えてみたところ、やはり時鳥(ホトトギス)でしょうか?
ですが時鳥は罰を下すような鳥ではなく、男女の思い出を喚起させる鳥(花散里と時鳥)なので、これも相応しくはありませんね。
脚本家の方に真意を問いたいところです。

 「源氏物語」誕生か?

来週の予告であのフレーズが読まれました。
「いづれの御時にか・・・」

あいかわらず『枕草子』を読み耽り、政治に無関心の一条天皇。
すっかり伊周(三浦翔平さん)の甘言に乗せられて、とても一国を担う王の姿ではありません。
公卿たちもただただ呆れるばかり。
久々のF4歓談の酒席で、『枕草子』を超える読み物を書かせなければ、帝は堕落の一途であると憂いております。
晴明に示唆されてまひろのことを思い浮べていた道長の耳に公任からまひろの名前があげられました。
そうして鮮明な確信をもった道長はまひろを訪れるのでした。
 ⇒次回に続く

という第30話でしたが、晴明がまひろを「光」と呼んだのは、「光る君」と何か関係があるのでしょうか?
単に道長が今「闇」にあるから「光」という言葉を用いたのでしょうか。
ともあれ、来週はとうとう『源氏物語』が執筆されるようです。

では、また来週☆


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?