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紫がたり 令和源氏物語 第百六十四話 松風(一)

 松風(一)

二条邸の東院が立派に完成し、源氏はまず最初に花散里の姫をここに移しました。
破れた山間の邸は遠く、この母性溢れる女君には側近くにて、愛息・夕霧を託そうという心積もりがあります。
西の対の紫の上もこの女人とならば仲良くできようと源氏は花散里の姫を好もしく、深く信頼しております。
北の対は広めに造作して、いくつもの小部屋に仕切りました。
ここには縁を結んだ女人で身寄りのない人などが気兼ねなく過ごせるようにという配慮のもとに手を加えました。
そして東の対には明石の親子を迎えるつもりで重厚ながら幼い姫が快適に暮らせるように配慮してあります。
このように準備万端に整えたものの、肝心の明石の上はなかなか上京する決心ができないでいるのでした。
源氏は早く小さい姫に会いたい一心で始終文を遣わしましたが、明石の君には京で暮らしていく自信がないのです。
あの住吉詣でで行き会った折、己の身分の低さを嫌という程思い知らされ、数多いる高貴な女君たちにどのような顔をして交わればよいのかわかりません。
源氏の北の方といわれている紫の上とおっしゃる御方は、それは聡明で美しく、源氏不在の邸を守り切った素晴らしい女人だという噂です。
実際に源氏が明石にいらしてすぐには紫の上さまを気遣い、求婚の気配もありませんでした。それほど大切にされておられる女人が傍らにおられるのに姫を産んだからといって、のうのうと邸に迎えられるのも気恥ずかしく、きっと紫の上さまは気分を害されるに違いないと思うと決断できようはずもありません。
そうかといって姫がこのままいつまでも明石の田舎にいるようでは、それも将来が望めるわけがないのです。

明石の上の苦悩ももっともなことで、なにかよい手立てはないものかと父親の入道が考えを巡らせていると、たしか都から少し離れた大井川の近くに山荘があったことを思いだしました。
入道の妻は皇族の血をひいており、宮家所有のゆかりの邸があるのです。
入道は早速管理している者を呼び寄せて邸の修繕を依頼しました。
源氏は明石の親子を早く迎えて姫を后がね(帝にさしあげるお后候補)として教育しようと考えていたので気を揉んでおりましたが、入道からの手紙でその賢明な選択を知りました。
確かにこと明石の上に対しては紫の上の心が乱されるようで、上洛後すぐに東の対に迎えるとなると穏やかに運ぶとは思えません。
それを面倒な女人の悋気と源氏は考えているようですが、紫の上が世を捨てたいとまで思いつめているとは、露ほども知りはしないのです。

何はともあれ一歩前進、と早速惟光を密かに大井川の山荘へ遣わしました。
実は源氏はこの頃いずれ出家することを見据えて嵯峨野は桂川の近くに御堂を建造しておりました。
天下人となった源氏がその勢いも衰えぬのに出家を考えるとは、きっと不思議に思われるでしょう。
源氏は須磨・明石の流浪で神威というものに心底畏れをなしておりました。
冷泉帝の信頼も厚く、まだ若くして大臣と尊ばれておりますが、今の源氏にはこのような栄華も長く続くはずもないという疑念が芽生えております。
それは亡き太政大臣や弘徽殿大后の盛衰を目の当たりにしたこともあり、このまま自分の権勢が大きくなり続けるのであれば長く生きられないのではないか、という恐れも芽生えているのです。
いっそのこと仏弟子として静かに暮らしたいものだ、と考えるようになっていたのです。
しかし今世を捨てるには心を遺すものがあまりにも多すぎます。
そこで信頼できる僧侶に御堂を委ね、御仏への功徳を積もうと考えたのでした。
大井川の山荘(明石の上のもと)に赴くにも桂の院に用があるようにすれば要らぬ波風もたたずにすむでしょう。
そうなると源氏の心はすでに明石の人の元に飛んでいるのでした。
まったく男性というものは自由に心を切り替えるスイッチでもお持ちなのでしょうか。

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