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令和源氏物語 宇治の恋華 第百二十一話

 第百二十一話  邂逅(一)
 
賀茂祭りも無事に終えたので、薫は宇治の御堂の件がどうなっているかと宇治へ赴くこととしました。
「宮さま、私は明日宇治へ行って参ります」
「宇治ですか」
「はい。私には以前師と仰いだ御方がおりました。亡き桐壺院の八の宮さまでいらして、若くして宇治へ隠棲されていた御仁です。俗聖という者もおりましたが、俗世にありながら御仏の学問に精通されており、私はいろいろとご教授いただいたのですよ」
「そのような御方がいらしたのですね」
「ええ。山の阿闍梨とも親しくされて、秋の夜長に仏典の講釈などを楽しく聞いたこともありました。その八の宮さまが身罷られてしばらくたつのですが、御住居を山寺にしようと前々から進めてきたのですよ。明日は山荘がどうなっているか確認に赴こうと思うのです」
「それは亡き八の宮さまもお喜びになられることでしょう」
「八の宮さまには本当にお世話になりました。私ができるせめてもの恩返しなのですよ」
「以前父上さまから薫さまは御仏の法にお詳しいと聞きました。それは素晴らしいお師匠さまがいらしたからなのですわね」
にっこりと邪気のない笑顔を浮かべられる二の宮があまりにも無垢で薫はその素直さに救われるようです。それと同時にあの大君とのことを思い返すと複雑な気分になるのでした。
 
 
翌日薫は宇治の山の阿闍梨の元を尋ねました。
八の宮さまが生前読経していた仏間はすっかりこちらの寺に移築され、外壁はすでに完成に近く、立派な御堂が出来上がろうとしております。
「薫大納言殿、如何ですかな?」
薫が訪れたことを聞きつけて早速阿闍梨が挨拶にやって来ました。
「阿闍梨、お久しぶりです。元気そうで何よりでございます」
「帝の姫を賜ったそうですな。おめでとうございます」
「私には過ぎたることで恐縮しておりますよ」
「立ち話も何ですからあちらで粗茶を差し上げましょう」
「では、遠慮なく」
聖域の空気は変わらずに清浄で以前訪れた時と何も変わりません。
初夏の渡る風が懐かしく、薫はいつしか八の宮さまが在った昔を思い出さずにはいられないのでした。
「ここは変わりませんね」
「そうですなぁ。変わらずに修行を重ねるばかりですよ」
穏やかに笑む阿闍梨の言葉は少ないですが、奥行きのある物言いといい、薫には懐かしく感じられます。
「私はいずれ仏門にという願望を常々持ち続けて参りましたが、どうにも願えば願うほどにそれが遠くなってしまうようです」
「薫殿、どのようなことが起きてもそれはすべて御身に必要なことであると私は考えます」
「はい」
皇女を賜るという栄誉を受けながらも奢ることなく御仏に心を寄せる貴公子を好もしく見つめる阿闍梨ですが、かねてよりその裡に深い苦悩を抱えるような姿は痛々しく感じておりました。
もしもこの君が人生を謳歌できるような性質であるならばここまで光輝くようではなかったのかもしれぬ、と密かに薫を思うのです。
「薫さま、御仏が与える苦悩というものは分にそぐったものであると拙僧は考えております。あなたはいずれ誰よりも徳を積む方になられると思われますぞ」
思いもよらぬ阿闍梨の言葉に薫は深く叩頭しました。

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