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令和源氏物語 宇治の恋華 第百二十二話

 第百二十二話  邂逅(二)
 
この宇治まで来て弁の尼を訪れぬわけにはゆくまい。
 
薫はやはり山荘へ足を向けて老女を慰めてあげようと考えました。
亡き八の宮さまと大君を日々弔ってくれている尼君に感謝の念を告げようという心遣いからでしたが、まさかこの道行きが思わぬ邂逅をもたらすことになるとは、まだ知る由はないのです。
宇治の山は緑も眩しく、薫はいつぞやの鮮やかな雄雉に出会った時が思い起こされます。
なぜだかその日は八の宮さまが存命であった頃のことばかりが脳裏をよぎるもので、昔が懐かしく、弁の尼と語らおうと心は静かに凪いでいるのでした。
薫が山荘へ向かおうとすると道の遥か向こう側からむくつけき武人たちが従う牛車がしずしずとこちらへやって来るのが見えました。
薫の一行はそのまま途中の橋を渡って山荘へ向かうのですが、このような山道で牛車と行き会うことなど珍しく、おや、と心に懸かりました。
薫が山荘に着き、落ち着いてから弁と面会しようと考えていたところ、例の一行が橋を渡って来るのが視界に入りました。
「あの一行もこちらに用があったとは。惟成、私がここに来ていると知られるのも気まずい。車をどこぞに引き入れて、私の名を漏らすなよ」
「かしこまりました」
惟成が心得たとばかりに消えると車や隋人たちは山荘の裏庭へ場所を移しました。
ほどなくすると例の一行がやはりこの山荘へ到着するのを確認すると、果たしてどうした由縁の一行であるか、と興味が湧く薫なのです。
どうにも野武士のような隋人が聞いたことのないような下卑た言葉で荒々しく叫んでいるように思われますが、どうやらこれが彼等の常態のようで、周りに仕える女房たちの田舎びた様子にどこぞの受領の一行であるかと誰何されます。
 
しかし女車一輌であるのはどうしたことか?
 
薫はつい好奇心の赴くままに垣間見ようと間仕切りに寄りました。
幸いこの寝殿は新築したばかりで簾もかかっておりませんので、障子の隙間からすっかり覗き見られるようなのです。
どうやら若い姫君が乗っているらしく、乳母と思われる人や若い女房たちが入れ替わり立ち代わり何事か報告しております。
「先ほどの尊い御方がこちらに入られたようではありませぬか」
じっと耳を澄ますと、遠慮しがちに尋ねているのが姫君らしい。
その御声はあの亡き大君に似ているように薫には思われました。
さぁっと頭に血が上り、胸がどきどきと高鳴るのを抑えられません。
「客人はあちらのお部屋にいらっしゃるということですわ。お姫さま、お車からお降りくださいまし」
「なんだか人に見られているような気がするわ」
「そのようなことはございませんよ、格子も下ろしてありますし。それこそ見られぬうちに、さぁ、早く」
この乳母とおぼしき老女の物言いは他の者たちとは違って洗練されております。
促されて車から降りた姫君は扇ですっかり顔を隠しておられましたが、そのほっそりとした手つきや優美な物腰しがかの人を思わせる。
「殿、あちらは常陸の守の姫君の御一行ということですよ」
いつしか傍らに控える惟成に告げられて、噂に聞いた八の宮さまの落胤の姫であると悟った薫はその場から目が離せなくなりました。

次回、『宇治の恋華 第百二十三話』邂逅(三)は4月11日(木)に掲載させていただきます。
明日は『光る君へ 第14話を観て』を掲載させていただきます。



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