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令和源氏物語 宇治の恋華 第百九話

 第百九話  迷想(十九)
 
中君は己の浅はかで疾しい心根を薫君に見透かされたのが恥ずかしく、深く反省をしておりました。
 
このような振る舞いを姉上や弁の尼ならば何と言うであろう?
 
賢しく立ち回ったつもりでも結局薫君の優しさに縋っただけという顛末が情けなく、それを赦す君の懐の深さに改めて寛容さを感じるのです。
もしもあの薫君と結ばれていたならば近頃のような物思いは無かったであろうか。
と、中君は君の宿縁となる姫君が改めて羨ましく思われるのでした。
 
さて、匂宮のお側近くにお仕えしている者たちの中に橘義明という男がおります。
この男、薫の腹心である惟成とは友人でもあるわけで、何やら頼まれた様子。
ことありげな風情で宮の御前に伺候しました。
「宮さま、ちょっと気にかかることがございまして、お耳に入れておいた方がよろしいかと」
「おう、義明ではないか。近くへ参れ」
「はは」
そうしてごにょごにょと日が暮れてから薫中納言が中君を訪れたことを告げ口したわけであります。
以前から薫が中君に只ならぬ関心を抱いているのでは、と疑っていた宮は嫉妬心に煽られて平静ではいられません。
半ば忘れていた中君の美しい面影が脳裏に浮かんだのでした。
「こうしてはおれぬな。よし、ひとたび参内致そう」
匂宮は慌ただしく支度をすると内裏へと急ぎました。
そうして六条院を後にした義明がやって来たのは三条の薫の邸です。
惟成と共に薫の御前に控えました。
「して、首尾は如何かな?」
「宮さまは気が気ではないご様子でしたよ。急ぎ参内なさったので今宵はそのまま二条院に戻られるでしょう」
薫は満足そうににやりと笑いました。
「宮には気の毒であるが、六条院に留められているのを解放して差し上げたのだから文句はあるまい。おめでたいことが二条院で待っているわけだしな。これも友情よ」
「しかし中納言さまは恨まれますぞ。私が言うのも何ですが、宮さまは意外と根に持つご気性ですからなぁ」
義明が気を回すのを意にも返さぬ薫です。
「なに、我が殿はお人よしなのだ。気にするな、義明」
惟成が諦めがちに溜息を吐くもので、男三人は目を見あわせて笑い合ったのでした。
 
その日、匂宮は久方ぶりに二条院に戻られました。
なんの報せも無く戻られたのはもしや中君が薫君と通じたのであればその痕跡を掴んでやろうというあさましい嫉妬心の表れか。
「おかえりなさいませ」
中君は慌てる風でもなく、落ち着いて宮を迎えられました。
その顔には疾しさなど微塵もなく、清々しい笑みを浮かべていられるのが宮には意表をつかれたのでした。すぐにでも薫とのことを問い詰めようと考えていた宮は肩透かしを喰らったわけです。
「長い間留守にして悪かったね」
「いいえ、仕方のないことですもの」
そうして目を伏せる姿はやはりしっとりと美しいので宮はいつものように抱き寄せずにはいられません。
「私が留守の間になにか変ったことはなかったかね?」
「特にはございません。昨夜薫さまがお越し下さり、宇治の山荘を山寺にしては如何かとおっしゃって下さいました」
「なるほど、この香りは薫のものか。衣に沁みるほどに近く寄ったということかね」
「まぁ、ずいぶんなご想像をなさるのね。ご自分は六の姫を娶ってわたくしをお忘れになっていたくせに、薫さまとわたくしとの間に何かあったとお疑いになるのですか?」
「薫は前からあなたに関心があるようだったからな。まったく油断ならぬ、私の留守を狙うとは」
「そうしてわたくしが身を委ねたとあなたは思われるのですか?なんと情けないことを仰せになるのでしょう」
「私がしばらくいなかったからと他の男に靡くあなたの心ほど情けない」
宮のあまりの言いぶりに中君は悔しくて涙をこぼしました。
中君は匂宮の手を取ると膨らんだお腹に導きました。
「これは・・・」
「わたくしに疾しいことが無いのはこの子がよく存じておりますわ」
「懐妊していたのか」
「はい」
「なんと嬉しきことではないか」
宮はそれまでの疑念も何処へやら、ただ喜びに中君を抱きしめました。

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