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紫がたり 令和源氏物語 第百二十三話 明石(十)

 明石(十)

入道は姿勢を正すと、神妙な面持ちで改めて源氏の君に向き合いました。
「実は私は長年住吉の神に願を掛けてきたことがございます。娘が生まれた18年前、この子はどことなく高貴で美しい様子でした。私はこのような田舎で一生を終えても、娘には出世をと望まずにはいられなくなり、春と秋の年に二回、欠かさずに住吉大明神に詣でました。いつか願いは叶えられると信じて娘へもたらされた数多の縁談を断り続けてきたのです。君が須磨までお越しになったのは神の導きとしか思えませぬ」
源氏は入道の告白に驚きました。
「なんと不思議なお話でしょう。私は都を出て以来、罪を滅却する為に念仏三昧の日々を送って参りました。さしたる罪を蒙った覚えもなし、と思っておりましたが、まさか住吉大明神の御導きとは・・・」
源氏は思い当る節もある、と言葉を失いました。
異形の者が夢に現れたこと、亡き父院が参られ「住吉大明神の導きに従え」と仰ったことがぴたりと符合します。
そう思うと、もはや明石の姫とは前世からの宿縁であるとしか思えないのでした。
「入道のお気持ちはよくわかりました。しかし私は無位無官の身です。このように頼りない有様で大事な姫をいただくわけにはまいりません」
「神仏の導かれた御縁です。あなたは必ずや復権なさりましょう」
入道は確信に満ちた様子で頭を垂れて退出しました。
ようやく打ち明けることができて、入道の心は晴れ晴れとしています。
きっと源氏は姫を娶ってくれるという手応えを感じました。

源氏はどうしたものかと考え込んでおりました。
勅勘を蒙った身でありながら、妻を持つとは世間からどのように思われるだろうか、とまた煩わしく感じられるのです。
何より自分を信じて都で待ちわびている紫の上の心情を考えると気が進みません。
そうかといって神意に逆らうようなことになれば、次には何が起こるのかと空怖ろしく感じます。
まんじりともせず、なんとも長い夜になりそうでした。
いろいろと思いを巡らせ、白々と夜が明けた頃、まずは文だけでも出してみようと決心しました。
相手のほどを知るにもまず最初が肝心、と華美を抑えた高麗から産出する胡桃色の紙に念入りに歌をしたためました。

 をちこちも知らぬ雲井にながめわび
      かすめし宿の木末をぞ訪ふ
(物思いばかりの遠い旅の空であなたという人に出会えました。入道の自慢の娘だというあなたにお会いしたいですよ)

入道はこの手紙に踊りださんばかりに喜びました。
はやお返事を、と急かしますが、姫はこの美しい手跡に気圧されて返事などはおこがましい、とても釣り合うとは思われないと塞ぎこんでしまいました。
困った入道は仕方がなく、娘が恐縮しきりで代わりにお返事さしあげますと歌を贈ってきました。

 眺むらむ同じ雲井をながむるは
      思ひも同じ思ひなるらん
(君がご覧になっている大空を娘も眺めております。きっと気持ちは御身と同じでありましょう)

なんとはなしに艶やかな歌が重々しい手跡で書かれているのが面白く、まったく風流な御仁であるよ、と源氏は笑みを浮かべました。

次のお話はこちら・・・

ラボオシリス②




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