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紫がたり 令和源氏物語 第百九十話 朝顔(八)

 朝顔(八)
 
その夜源氏は久しぶりに紫の上と共に庭を眺めました。
降り積もった雪が木立を覆い、庭一面を輝く銀世界へと一変させています。
「四季折々の場面では春の花が生き生きと咲く姿や秋の燃えるような紅葉が一面を埋める情景も心惹かれるが、こんな冬の夜に月が雪景色を照らしだすのも風情があるものだね。とても神秘的だとは思わないかね?」
「わたくしはこの静寂(しじま)が少し恐ろしく感じますわ。まるで時間が止まってしまっているような気がして。取り残されたような気持ちになるのです」
庭を眺める紫の上の横顔は亡き女院にそっくりで美しいものです。
「私が側にいるではないですか。あなたは一人ではありませんよ」
「そうですわね」
静かに俯く紫の上の心は虚ろ。
たとい傍らに身はあっても心が伴わないのであれば、それは居ないと同じこと。
やはりこの人を悲しませることはできない、そう思う源氏の君ですが、君自身その想いが紫の上に対する愛なのか、女院への執着なのかはわからずにいるのです。
「たしかにこの情景は少しわびしい気がするね。さぁ、女童たち。庭に下りて雪遊びでもなさいよ」
源氏が促すと、少し眠そうにしていた女童たちがぱちりと目を覚まして、
「きゃあ、きゃあ」
と嬉しそうに庭に下りました。
誰も踏んでいない雪を踏むのが楽しいのか、寒さも厭わずはしゃぐ様子が愛らしい。
雪玉を作って投げ合ったり、思うままに走り回るのは無邪気で笑みを誘います。
「雪をころがして大きな人形を作りましょうよ」
「たくさん、たくさん作りましょうよ」
そうして雪玉を大きくころがしているうちに、いよいよころがせなくなり、顔を真っ赤に困っているのも愛嬌があります。
女院がありし日に想いが馳せられて、源氏は懐かしく遠くを眺めました。
「前に雪が大層積もった時がありましてね。藤壺の中宮が遊び心から雪山をいくつも作らせたことがあったんですが、あの方は何をしても面白くされる趣味のよい御方であった。今ではちょっと気の利いたお手紙のやりとりなども出来るのは朝顔の姫くらいになってしまったよ」
源氏の追憶めいた言葉はまるで男同士が語らうようにざっくばらんです。
「朧月夜の尚侍も教養高く素晴らしい方だと聞きましたわ。あなたとのことで浮名を流されて、とてもそのような方に似合わしくない不名誉なことでしたわね」
「そうだね。優美で見目形美しい方というところではあの方を挙げなければなるまいよ。若さというものもあったろうが、あの姫には悲しい思いをさせてしまった。物の道理をよく弁えているという点ではあなたがお嫌いな明石の上は抜群ですね。しかし所詮身分が低い出なのにあの気位の高さはいただけないかな。お人柄がよろしいのは花散里の姫を置いてはいないでしょう。あの方はいつまでもおっとりと愛らしいところが美点ですね。まったく女人というものはみなそれぞれに素晴らしい点をお持ちなので、つまらないという方はいらっしゃらない」
そんな源氏のつぶやきを紫の上は黙って聞いております。
他の女人を評するように自分もどのようにか思われているのだわ、と考えていると、源氏はふと笑みを浮かべて
「このような話ができるのはあなただからこそ、ですよ」
などと、殺し文句を言ってみせる。
この無邪気で残酷な捉えどころのない男性が我が夫なのだ、と紫の上はぼんやりと思いました。
冴えた月影に鴛鴦の声が響きます。
 
かきつめて昔恋しき雪もよに
  あはれをそふる鴛鴦(おし)のうき寝か
(あれこれと昔のことが懐かしく思い出される雪の夜にさらに哀愁を加えるのはうき寝をしている鴛鴦の声であるよ)

鴛鴦はその被毛の美しさが人目を惹きますが、一度番になった相手と終生添うことから仲睦まじい夫婦となぞらえて昔から愛されてきた鳥です。
その鳴き声を源氏はどう聞いて、何を想うのか。
共にその声を聞きながら、傍らの紫の上は源氏の心をどう推し量ったのか・・・。

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