令和源氏物語 宇治の恋華 第百九十五話
第百九十五話 翳ろふ(十五)
常陸の守の北の方は薫の手紙に慰められましたが、かわいい娘を亡くした心の虚ろを埋めることはできません。
どうにもふと呆けてしまうこともあり、邸に残してきた他の子たちも気にはなるのですが、戻ろうという気が起きないのです。
しかし事情を知らぬ夫の常陸の守は一向に帰らぬ妻にいたく腹をたてて、三条の邸を突き止めると連れ戻そうと息巻いて現われたのでした。
「お前、母親の務めも果たさずにこのような所で一体何をしているのか」
「あなたこそどうなさったのです?わたくしは穢れに触れましたので末姫に移らぬようにと慎んでおりましたのよ」
「穢れとは何があったのだ?」
目を泣き腫らした妻が普通の様子ではないもので、さすがの常陸の守もそれ以上強く言うことはできません。
常陸の守はこれまで宮の姫の行方を尋ねませんでしたが、邸を出てからどこぞでのたれ死んだに違いない、それならばそれで哀れであると考えたようです。
北の方は夫に連れ子である宮の姫の素性を一切明かしませんでした。
いつか姫に釣り合う立派な殿方と娶わせて夫を見返してやろうと考えていたからです。
ところが今となってはそのようなつまらぬ意地も意味を為しません。
北の方は宮の姫の実の父が桐壺帝の皇子、故・八の宮さまであったこと。
宿縁によって薫右大将と結ばれたことなどを涙ながらに話しました。
「なんと姫はそれほどに尊い御方であったか。薫右大将といえば帝の婿。いずれは大臣にも上ろうという、私もお仕えする御仁であるが、とてもお側近くまで寄れぬほどに高貴な君よ」
常陸の守は目を丸くして驚きました。
「ええ、あなたのおっしゃる当代一の貴公子である薫君が我が姫の夫となったのですよ。しかしながら宮の姫は京に迎えられる目前で儚くなってしまわれました」
「そうであったか」
子を思う気持ちは常陸の守とてよくわかります。
しかしながら妻が傷ついているのを慰めたくともこの武骨な男は優しい言葉がなかなか口から出てこないもので、妻と一緒においおいと声をあげて泣きました。
そんな夫を見て、たとい高貴ではなくともこうした朴訥な人だからこそこれまで連れ添ってきたのだと改めて感じ入る北の方なのです。
妻から薫右大将の手紙を見せられた常陸の守は、今まで雲の上のような存在であった御方と縁が結ばれたことを素直に喜びました。
「我が一門にとってこれほどの幸運がありえようか。それもこれも宮の姫が取り持ってくれたものなのだなぁ。ありがたいことだ。せめて我が邸で姫の供養などをしようではないか。共に戻ろうぞ」
「はい、あなた」
夫が素直に感謝の念を述べるのでそれまで片肘を張って生きてきた北の方の心は解き放たれ、これで堂々と姫を送ってあげられるのだと嬉しく、ようやく慰められたのです。
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