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『光る君へ』 いろいろ解説①

みなさん、こんばんは。
NHK大河ドラマ『光る君へ』が始まり、平安文学がフィーチャーされそうな予感ですね。
私は平安文学を現代語訳しておりますので、すんなりと第一話を観ましたが、よくよく考えてみたら聞きなれない用語などもあるかとふと感じました。
そこで解説などを含めた記事をアップして行こうと思います。

 


 主人公の名前:「まひろ」について

平安時代では本名のことを「諱(いみな)」と言っていました。
それは=忌み名に通ずるとして親や近しい者のみが使用しており、明かすことはなかったのです。
ですから「紫式部」という名も通り名のようなものです。
この名も由来が諸説あり、藤原氏であったことから、もとは「藤式部」と呼ばれていたという説があります。
また、藤の「紫」によるものともいわれ、源氏物語の紫の上にちなんでの「紫」ともいわれています。
そして「式部」は父親の為時が式部丞という役職だったから、兄が式部丞であったからという説もあります。
平安女性の名前はとてもファジーで、天皇のお后さまなどは史実で伝わっておりますが、「○○の母」や「○○の女(むすめ)」などと記されている場合がほとんどです。
紫式部の名前は一説には香子(かおりこ/こうし/たかこ)とあります。
プロデューサーによりますと、「まひろ」という名はドラマ用につけられた名で、「心に燃えるものを秘めた」という意味がこめられているということでした。 

 入内(じゅだい)とは

吉田羊さん演じる詮子(せんし/あきこ)が帝に輿入れする際に使われた言葉です。
帝の后となる者が「内裏に入る」という意味ですね。
大納言藤原兼家が団欒の席で娘の入内について話し、長男道隆に生まれた娘も帝に差し上げる姫として大切に育てなさいと示唆する場面にありますように、娘は政治の駒と考えられておりました。
このように帝や東宮に差し上げるために養育される娘を「后がね」といいます。
もしも娘が帝の子を産んだならば、孫は次の帝になる可能性があり、そうなると外祖父として政治に参加できるからです。
平安時代では、生まれた子供は母親の家にて養われました。
それは帝の皇子も同じで、父親に会える時には元服の時、という極端な例もあったほどです。
そうなりますと母親やその父(祖父)と親密になり、子供が帝になる時には摂政や関白として、意のままに政事を行ったのです。
藤原兼家はまさにこの座を目論んでいたというわけでした。

 御簾(みす)・几帳(きちょう)・檜扇(ひおうぎ)

几帳(きちょう)

御簾、几帳、檜扇。
これらの器物は女性が姿を隠すために用いられた必需品です。
平安時代では貴族の女性は家族以外に顔を晒すことを嗜みの無いことだと憚られていました。
その為、常に扇で顔を隠し、几帳で姿を隠しておりました。
そして人と会う時には簾越しに話をしたのです。
それも直に声を聞かせるのではなく、取次役の女房を介してで、姫の様子が悟られぬように念入りにガードされていたということですね。
檜扇は吉田羊さんが入内の際に顔を隠しながら内裏に参上しておりましたが、檜を薄く削いだ木片を扇に仕立てたものです。
余談ですが、私はとある神社で巫女をしていた経験があり、檜扇で神楽舞を奉納していたので、檜扇の扱いに慣れております。
ドラマでは目を出して顔を覆うという演出ではありませんでしたが、実際は顔を覆って見えないようにしたでしょう。
歩けないのでは?
と疑問をもたれた方。
足元をしっかり見れば問題ありませんのよ。
檜扇に慣れた私だからこそのエッセイですね。
さて、現代では扇子が身近に涼をとるものとして愛用されておりますが、これは平安時代では「蝙蝠(かわほり)」と呼ばれておりました。
夏には檜扇ではなくこのかわほりで涼をとっていたのです。

次回は平安時代の装束について書こうと思います。




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