見出し画像

『光る君へ』第38話を観て・・・ ※ネタバレあり

みなさん、こんにちは。
本日は、『光る君へ』第38話を観た感想を掲載させていただきます。
最近タイトルにはいつも悩まされるのですが、「まぶしき闇」とはどういう意味なのでしょうか???
と、視聴後にツッコミを入れてしまいました。
はて、さて・・・。


 桔梗の激怒

そもそも痛烈で怒りん坊さんの桔梗(ウィカさん)というキャラクターを設定された清少納言ですが、まひろ(吉高さん)を訪ねてきて猛烈に批判して帰ってゆきましたね。
桔梗の物言いは嫌味っぽく、以前から歯に衣着せぬところがありましたが、今回はまひろを褒めてるのか、貶してるのか、源氏が玉鬘に言い寄るのをみっとないと(著しく同意見ですが)、しかしてそれは愚かな男と笑いものにしているところがさすが、と崇め下ろす趣旨でした。
最後には「私は源氏の物語に腹をたてている」と、言い放ちましたね。
このドラマでは紫式部と清少納言が若き日々からの友人というちょっと無茶な設定ゆえに、あらゆるところで帳尻合わせが必要なようですが、桔梗のキャラクターはブレることがありません。
あのネチネチとした物言いは女性の物書き特有の「根暗」そのものではないでしょうか。あなたも根暗ですよ、と桔梗さんに進言したくなる場面でした。

 呪詛!!!

内裏の敦成親王の御在所で、呪符が発見されました。
呪符というのは対象の身に近いほど効力があると考えられたので、寝所の軒下や御座所の隠れたところに仕掛けられたわけです。
さて、呪詛の対象は、左大臣・道長(柄本さん)、中宮・彰子(見上愛さん)それから中宮がお産みになった皇子・敦成親王でした。
藤原行成(渡辺大知さん)の調べによって呪詛を行った張本人は円能という僧であり、その依頼者は伊周(三浦翔平さん)の身内の者であるということが判明しました。
37話で伊周に苦言を呈していた源方理(阿部翔平さん)と高階光子(兵頭公美さん)がどうやら依頼主でしょう。
伊周自身もひたすら呪っておりましたが、この御二方はプロに依頼しようと考えたわけです。
事が露見しますが、中宮や皇子を呪った者は死罪という厳罰を道長は後々の禍根を案じて官位の剥奪と昇殿禁止という処分に留めます。
SNSなどでは38話の最後で凄絶な伊周の姿を「呪詛返し」と評する方もおられるようですが、道長が術師を使って呪力を跳ね返したというわけではないので、典型的な自爆というべきでしょう。
「人を呪わば墓穴二つ」ですよ。
ともかくあれほどの怨みを滲ませた伊周の錯乱する姿を見たまひろは道長の、ひいては権力者のつらい一面を覗き見て涙するのでした。

 和泉式部デビュー

いまだまひろの娘の賢子(梨里花さん)が自分の娘と気付かぬ道長は、裳着(成人)を迎えたら娘も藤壺に出仕させないか、ともちかけます。
まひろ母娘の関係は最悪ですので、躊躇うまひろですが、娘の為に成人のお祝いとして贈り物をいただきたいと願いました。
後々娘が知ることになるかどうかはいざ知らず、まことの父からの贈り物を娘に持たせてあげたいという親心ですね。
実家で官位を賜ったまひろの父・為時(岸谷五郎さん)と使用人で惟規の乳母であるいとが、「やはり今回の官位も『アレ』でしょうか」と意味深で不用意な発言をするや、すかさず賢子に「アレ、ってなぁに?」と聞かれてしまいます。
それは秘密の「アレ」ですよ。
あなたにも深いかかわりのある「アレ」です。
と、視聴者全員思ったことでしょう。
話は戻って、藤壺に華やぎを添える新しい女房としてまひろは茜(和泉里香さん)を推薦しました。
華やかで教養も高く、魅力的で情熱的な女性ですね。
そして何より和泉式部を拝命するや正直に、「別れた夫の名前で呼ばれたくありません」とは、清々しい御方です。
この平安中期から後期にかけては女流作家が隆盛の頃でしたので、文化の薫り高い宮中が再現されておりました。
藤壺で貝覆いが行われておりましたが、この遊びは対の貝を見つける「貝合わせ」ではなく、「貝覆い」という名称が正解です。
「合わせ」は「比べる」という意味なので、貝合わせとは美しい貝を持ちより競い合う事でした。
同じように源氏物語で「絵合(えあわせ)」という帖がありますね。
これは左右方に別れて絵を競い合ったことからこの帖名がふさわしいのです。

 敦成親王を東宮に・・・

道長は息子の頼道(渡邊佳祐さん)を近くに呼び、これから成すべきことを諭しました。
それは政の根本ですね。
帝を頂点とした施政というのが表向きですが、本当に帝一人の意志で政治が行われていたわけではありません。
陣の定は公卿たちの意見をとりまとめる場です。
そこで出た意見を帝に奏上して裁可を得るわけですが、一条天皇は中宮定子の時からその身内を贔屓しました。
ドラマでは伊周は傲慢なうえに無能で民を慮る人ではありませんでした。帝はそれでも重用したわけです。
道長ははっきりと帝が誰であれ側近のいうことに耳を傾けられる帝であればよい、と言い切りました。
そしていうことを聞くのは敦成親王であるため、東宮に冊立すべきと。
道長はかつて言っていたことと同じ信念を息子に告げました。
政は民のためにすべし、と。
実際に自分の孫を天皇とするわけですが、ドラマにあったように敦康親王は彰子と仲がよかったようで、彰子は敦康親王を退けた道長の仕打ちをいつまでも恨んでいたとか。
藤壺女御と幼い源氏のオマージュとしても、ビジュアルとなるとやはり異様で結構キツイなと感じました。

では、また来週☆


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?