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令和源氏物語 宇治の恋華 第百話

 第百話  迷想(十)
 
父帝が去った後、女二の宮は例の薫る中納言と呼ばれる君がどのような御方なのかと好奇心が芽生えて、側に仕える若い女房を呼びました。
「先ほど父上が薫る中納言さまのお話をしてくださったのだけれど、お前はその御方にお会いしたことがあるのかしら?」
「それはもう。当代一と言われる貴公子ですもの」
「不思議な香りがするというのは本当なの?」
「ええ、そうなんですの。薫さまは生まれた時からあの芳しい香りをまとっておられたということですわ。姫さまの兄君でいらっしゃる三の宮さまはその薫さまが羨ましくてたくさん香を焚き染めるので“匂宮”というあだ名がついたほどですもの」
「まぁ、兄宮さまはそのように世間では呼ばれているのね」
「ええ、当代一のと言えば“薫る中納言に匂う兵部卿宮”というのが貴族たちの間では常識ですわ」
「あの美しい兄宮さまと並び称されるなんて、薫る中納言さまもさぞかし美しい殿方なのでしょうねぇ」
「精悍な御顔立ちでいらして、勤勉実直。ここだけのお話ですが匂宮さまよりも人気は高うございますのよ」
「あら、尊くも不思議な御方なのね」
姫宮はいつしか薫に乙女らしい憧れを抱いているのでした。
女二の宮を訪れた帝はさらに匂うような美しさを増していた娘が可愛くてなりません。
折しも時雨がはらはらと庭先を濡らすのが情趣に溢れて、こうした風情なれば、と人を呼びました。
「今参内しておるのは誰がおるか?」
「は、中務親王、上野親王と薫中納言が参っているようでございます」
「では薫をこちらへ」
帝の仰せごとで碁盤が用意されました。
薫は気に入られているのでこうしたお召しは珍しくはありません。
今日もそうであろうといつものように御前に伺候しました。
薫る中納言という通り名に相応しく天の香りかと思われるような芳香が漂うのをやはりただ人にはあらず、と帝は思召される。
姿を現したその美しい佇まいもやはり並の人とは較べようがありません。
「薫、つれづれの慰みに碁でも打とうかと思うてな」
「私ごときがお主上に適うはずもありませぬが、胸を借りるつもりで挑ませていただきまする」
「うむ、ではその心意気に免じて一勝負でも私に勝てたならば褒美をつかわす」
お顔は和やかに笑っていらっしゃるものの、今日の帝はいつにない雰囲気を漂わせておられるのを、薫はおや、と訝しみました。
結局三番勝負のうち最後の一番を帝が負けられたので、薫はいったいどんな褒美を賜るのかと息を呑みました。
「なんとも残念であるよ。今日はこの菊の一枝を許そうではないか」
帝は挿頭としていた菊の一枝を薫へ差し出しました。
その瞬間に薫は姫宮のご降嫁を仰っているのだとすぐに察しました。
このような内意があった場合、一度は辞退するのが礼儀となっております。
薫はすぐさま階を下りて、前栽の風情ある一枝を手折りほんのひとさし拝舞しました。
 
 世の常の垣根ににほふ花ならば
    こころのままに折りて見ましを
(世の常の家に咲く花であれば心おきなく手折れるものを、尊い姫宮さまを賜ることなどできませぬ)
 
なんとも気の利いたいらえをしてみせるものだ、と満足げに帝は詠まれました。
 
霜にあへず枯れにし園の菊なれど
      残りの色はあせずもあるかな
(母も喪った女二の宮であるが、乙女らしく美しくあるのをご覧いれたい)
 
本日はこれにて、と薫は御前を辞去しました。

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