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令和源氏物語 宇治の恋華 第百一話

 第百一話  迷想(十一)
 
薫に内意が下ったという噂は瞬く間に宮中で広がりました。
当人はいまだ実感がなく、決まった話ではないのでいつもと変わらぬ生活を続けておりますが、それを妬みやっかむ者は後を絶えません。
誰もが憧れる女一の宮ではないにしても、皇女を賜るということは臣下としては最高のステイタスであるので、羨ましく思う者は多いのです。野心をもっていれば尚更妬ましいというもの。
薫にしてみれば大君を失った悲しみから未だ立ち直れず居るのに妻を娶れとは帝の命であってもおいそれとは従えない複雑な気持ちです。
この噂に敏感に反応したのはまたしても夕霧の左大臣でした。
「こちらこそ薫を六の姫の婿にと考えていたものをまた振り出しに戻ってしまったではないか。かくなる上はやはり・・・」
そうして俄然匂宮への働きかけを強めたのです。
明石の中宮もせっかく匂宮が落ち着いてよい兆候と考えておられましたが、兄の夕霧の訴えを聞かずにはいられなくなってきました。
匂宮を次の東宮にとの意見もあるので、ここで強力な後ろ盾を作っておきたいところとしては夕霧の申し出を無下に断ることも出来ないのです。
二条院に迎えられた中君には気の毒なことですが、中君にはなんの政治力もなく、はなからそうした姫を正妻に据えることは無理なのでした。
 
中宮は仕方なく匂宮を呼びました。
「母上、何か御用ですか?」
「なんとも言いだしづらいことなのだけれど」
そうして眉を顰めて顔を曇らす母に只事ではないと感じる匂宮です。
「中君を呼び寄せたばかりのあなたにこんなことは言いたくありませんが、やはり中君は北の方には相応しくないと思われるのよ」
「ははぁ、夕霧の左大臣がまたやいのやいのと母上を責めたてたのですね。左大臣は私が中君を迎えてからどうやら薫を六の姫の婿にと考えたようですよ。父上が女二の宮を下す内意を示したでしょう。それで焦っているのだな。まったくはた迷惑な」
「まるで他人事みたいな物言いだこと。お前を東宮にという声もあるのに今夕霧お兄さまの後ろ盾を無くすのは得策ではないわ」
「それはわかってはいるのですがねぇ。中君を迎えたばかりですよ」
「そちらの御方には気の毒だと思うけれど、よく考えて答えを出しなさい」
匂宮とて野心はあります。
親王と生まれたからには国で一番と言われる帝の座がすぐそこに見えているのをみすみす逃したくはないと考えるのが人の常。
現在の東宮は匂宮の兄である一の宮が冊立されております。
となると次の東宮は一つ上の兄二の宮(式部卿宮)が順当ではありますが、二の宮は体が弱く、久しく公に姿も見せておりませんので、寵愛の深い匂宮が次の東宮にという話もあながち見当違いな話ではないのです。
夕霧の左大臣は一の姫を東宮に差し上げ、二の姫も二の宮に差し上げております。
権勢もさることながらまったくこうした御仁には天をも味方をするものかと思われるほどの子沢山ぶりで、中宮の言うようにここで自分だけその庇護を失うことは避けたいところなのです。
何より六の姫とは中君に出会う前から文を交わしていた仲なので、その気も大いにある匂宮としては思案のしどころなのでした。
 
ようやく手にした中君には辛い思いをさせることになるであろう。
 
しかし女の気持ちばかりを尊重しては国で一の人という座は得られないのです。
まったく尊い身分がゆえにどうにもならぬことである、と匂宮は重い溜息をつくのでした。
しかし幾度考え直しても匂宮は野望を捨てられません。
この辛い立場を妻となった中君ならば理解もしてくれようと六の姫との婚姻に同意したのでした。



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