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令和源氏物語 宇治の恋華 第百三話

 第百三話  迷想(十三)
 
薫は己の執念深さになかば呆れ、やるせない日々を送っております。
女二の宮の喪も明けて内意が公となったからには一刻も早く色よい返事をもらいたい帝はそれとなく促されるのですが、どうせ逃れられぬ結婚であると諦めながらもぬらりくらりと躱しているのです。
薫は読経しながら己の数奇な運命を顧みておりました。
人の道を外れた恋による呪わしい生誕。
それ故にこの世に絆を作らずいずれは仏門に帰依するという願望からは徐々に遠ざかり、女二の宮を娶ればさらに思うままにはならぬでしょう。
大君との出会いは薫にとっては人生が変わる程の大きなものでした。
あの方と共に生きられるならば、と出家の願いさえも捨てようとしたのです。
今自分の中に吹き荒れる中君への恋心は大君への想いがすり替わったものであるのか、真実の愛なのか、薫には判断がつきません。
行き場を失った愛に翻弄されて心は憔悴するばかり。
眠る気にもならず徒然に夜を明かした薫は庭先に朝顔の花が開くのを見ました。
 
 朝顔は常なき花の色なれや
   明くるま咲きて移ろひにけり
(今咲いた朝顔はこの暁に見せる色がもっとも美しい。すぐに移ろう様が儚きことよ)
 
このやるせなさ、情趣を中君はわかってくださるだろうか。
「惟成おるか」
「は、こちらに控えております」
「北の院(二条院)へ参る。目立たぬよう支度せよ」
「匂宮さまは内裏においでではないのですか?」
「中君さまのお加減が悪いと聞くので見舞いに参上いたそう」
「かしこまりました」
薫がその朝顔を手折ると露がきらきらと光りながらこぼれ落ちました。
 
 けさの間に色にや愛でむ置く露の
    消えぬにかかる花と見る見る
(この朝露が消えぬ束の間だけでもその美しい姿を愛でようではないか)
 
惟成は大君の死で主人が心を喪失しているのを心得ております
殿は虚ろを埋めようと足掻いておられるのであるな、と胸が痛みました。
 
早朝の訪問にも関わらず、女房たちは座をしつらえて薫を手厚くもてなしました。
宮の留守はなかなか眠れずに過ごされておられるのであろうか。
そう感じるにつけても薫の心はぐらぐらと揺れるのです。
中君は御簾の側へ寄り自ら返事もなさいました。
「お加減が悪いと伺いましたのでお見舞いに参上致しました」
「いたみいりますわ、薫さま」
萎れかけた朝顔のようにひっそりと答える御声は不思議と大君に似てどうにかすると自制心を失い不心得なことをしでかしそうです。
大君を想う心にかけてそのように振る舞わぬよう己に言い聞かせますが、中君の様子は大君その人によく似ておられる。
薫は匂宮の結婚のことをすでに中君が承知しているらしいので、兄が妹に噛んで言い含めるように世の習いなどをあげて、おおらかにいられるよう言葉を尽くしました。
「宮は東宮に立たれるかもしれませぬ。左大臣の力は絶大なのですよ」
政治に関わることとて女人である中君には返答しづらいところではあります。
「ときに薫さまはご結婚なさるそうですね」
「ご存知でしたか」
「女二の宮さまがご降嫁されると伺いました。御出世なさいますわね」
「私はそのような出世に興味はありません。しかし帝の臣下である限り辞退することは許されませんでしょう。もしも大君が生きて私の妻となってくださっていたのであれば、あるいは」
薫はそこで言いさした言葉を呑み込みました。
「こうして差し向かいでお話をしておりますと宇治を思い出しませぬか」
「はい」
「今頃は川音も爽やかにそろそろ岩魚の獲れる頃でありましょう」
薫と中君は宇治へ思いを馳せながらじっと目を閉じ、耳の奥で川音を聞いているようです。
「わたくしはやはりこちらへ来るべきではありませんでしたわ」
「お辛い気持ちはわかりますが、そのようにおっしゃっては宮さまの純情が無になってしまいます。あの折には宮さまが中君さまへの愛を訴えられたので中宮さまがお力を貸してくださったのですから」
「たとい縁が切れたとしても宇治へ引き籠り姉上の菩提を弔って生涯を終えたほうが心は救われたと思いますの」
薫には中君の辛い気持ちが痛いほどに伝わってきます。
「過去の選択を悔やむことは誰にでもあることでございますよ」
薫の苦渋に満ちた瞳を見つめる中君は、この御方もいろいろと悔やんでいらっしゃるのだと共感を覚えました。
「もしも」
「もしも?」
「もしも大君の思し召し通り、私とあなたが結婚していたならば、どうなっていたでしょうね」
中君もそのことは何度も考えたものでした。
それをこの姉しか目の入らなかった君から聞こうとは意外で言葉を紡ぐことが出来ません。
「わかりませんわ。実際に起こらなかったことですもの。考えたこともございませんでした」
薫は中君の動揺したような強めのいらえに嘘を見ました。
扇に載せたあの摘み取った朝顔を御簾の下から差し入れて詠んだのです。
 
 よそへてぞ見るべかりける白露の
       契りかきおし朝顔の花
(白露<大君>が自分と思ってと言い遺した朝顔<中君>を私はやはり亡き方の形見として妻とするべきでした)
 
薫の自分に対する恋心を知った中君はさっと頬を赤らめました。
 
 消えぬまに枯れぬる花のはかなさに
     おくるる露はなほぞまされる
(露が無くなるよりも先に枯れた花のように儚くなった姉上ですが、後に遺されたわたくしこそ儚い身の上です)
 
それと気付かぬふりをして言い紛らわしてしまう様子も大君を思い起こさせられて、薫の惑いは迷走するばかり。
「戯言とお忘れくださいませ。私はいまだにどうにかしているのです」
「それほど姉上を深く愛されていたのですものね」
釘を刺すように大君の名を口の端に上らせる賢しさに薫は踏み留まらざるを得ないのでした。

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