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令和源氏物語 宇治の恋華 第百八十五話

 第百八十五話 翳ろふ(五)
 
宇治の人々が悲嘆に暮れるその頃、薫君は母である入道の宮がご病気であられるのを平癒されるように、と祈念の為に石山寺に参籠しているのでした。
浮舟君の訃報は内舎人によってもたらされたもので、宇治の方々からは何の使者もないのが情けなく、真の主人と考えるのはやはり匂宮のほうであったかよ、と不快さが拭えません。
「内舎人よ、何かの間違いではあるまいか?」
「いえ、我が君。確かに葬儀をこの目で確認致しました」
「どうして急に亡くなるなどあるものか」
「何やら隠された事情でもあるのではないでしょうか。即日葬送の上に仕切りの儀式なども省かれて、簡略そのものでした」
「なんと」
亡くなったと聞かされても即座にそうとは納得できないものを、何やら事情があるのではとは、薫はあまりのことに言葉を失いました。
すぐにでも宇治へ赴き次第を確かめたいとは思うものの、参籠の日取りは決まっているのですぐに行動することはできず、死の穢れに触れるのも憚られるのです。
亡骸も灰となってしまった今となっては宇治の方々のなさりように意見しても詮方ない。
「遺された者たちはみな冷静ではいられまい。内舎人よ、何くれと世話を焼き、面倒を見てやってほしい」
「仰せのままに致しましょう」
そうして内舎人は帰って行きました。
一人になった薫はなかなか心を整えることができません。
すでに浮舟がこの世に居ないというのが信じられないのです。
もう打ち捨ててしまおうとも考えた女人ではありましたが、二度と逢うこと叶わぬと思うと懐かしさが込み上げる。
 
あの可憐な姫君をどうして宇治のようなわびしい山里へ放っておいたものか。
 
思えば八の宮さまが半生を慎んで暮らした土地であり、大君との悲恋が終えた山幽であるものを、匂宮とのことにしても京とは離れているからと油断したのも自分の落ち度であるように感じられるのです。
どうしようもない悔恨の念が薫君を苛み、ただもう一目でも浮舟に逢いたいばかり。
これは御仏の弟子になりたいと願い続けてきた己がこの期に及んで女人に惑わされたことから下された仏罰か。もしもそうであるならば浮舟の死は自身の咎であるとさえ薫には思われる。
そんな情のこわい薫の悲しみは傍目ではわからぬものの深いのです。
石山寺の参籠を終え、薫は喪失感を抱えたまま三条院へと戻りました。
しかしながら浮舟の姿ばかりが思い出されて平静ではいられないもので女二の宮の元へは渡ろうとはしません。
たいしたことではありませんが知人が亡くなり穢れに触れましたので、慎もうと思います、とだけ女二の宮に告げてただ一人御座所でじっとはかなかった浮舟との契りを嘆き、ひたすら勤行するのでした。
 
女二の宮は女房たちが密かに浮舟君の噂をするのを聞いて、例の京へ迎えようとしていた女君が亡くなったことを悟りました。
 
薫さまはきっと悲しんでいられるに違いない。
あの御方ほど心優しく情の深い方はいないのだもの。
 
だからといって今自分にしてあげられることは何もないであろう、と辛くとも薫君自身からその人のことが語られるのを待とうと決めた女二の宮なのです。
 
 
浮舟の死を辛く重く感じていたのは匂宮とて同じこと。
まるで生きた心地ではないように思われて御座所から出ることも出来ずに悩み続けているものを、人々は性質の悪い物の怪でも憑いているものか、と噂し合う。
まるで重病のように装って浮舟を偲んでは涙を枯らす宮なのです。
「どんなわけでこのようにひどくお悩みになり、命も危ういほどに沈んでいらっしゃるのであろう」
二条院に仕える者たちで心配せぬ者はない。
そんな宮の様子を見るにつけても妻である中君は、異母妹の浮舟が死んだという報せと照らし合わせてやはり夫が妹を見つけて通じていたのでは、という疑念が真実味を帯びてくるのです。
今さら死んだ妹を恨もうとは思いませんでしたが、我ら姉妹はどこまでも不遇な定めであることか、とこちらも暗く沈むのでした。



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