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令和源氏物語 宇治の恋華 第百五十四話

第百五十四話 浮舟(十八)
 
石山詣でが無くなったことで宇治はまた退屈な日常に戻りましたが、浮舟は毎日のようにもたらされる匂宮からの手紙に徒然を慰められておりました。
この手紙を取り次ぐ右近の君は一人で抱える秘密の大きさに耐えかねております。
時方の下人が手紙をよこすようにしてあるので、
「昔付き合っていた男がよりを戻そうと熱心に手紙をよこすのよ」
と、周りの女房たちの目を巧みに逸らし、重ねる嘘は右近を憔悴させるのです。
浮舟君のまわりに人気が無くなると右近は必ず宮さまからの手紙をそっと渡しておりました。
「姫さま、どうやら匂宮さまはお加減が悪いようで二条院からお出にならないということですわ」
「なんですって」
「あれほど微行を好んだ宮さまですのに、もしや姫さまのことを本気で思い詰められていらっしゃるのでしょうか」
「まぁ」
浮舟は頬が赤らむのを隠しきれません。
お逢いした折に何度も宮が囁いた言葉は真であったかと思われるのです。
「あなたを知っては長年愛してきた人たちも霞んでしまう。もうあなたなしではいられない」
気持ちが宮のほうへ傾くのをいけないと己に言い聞かせるものの、そうすることでより強い力に惹かれてしまう危うさに浮舟は我が心の思うにならぬのが苦しくてなりません。
宮が去ってから心に思い浮かぶはあのめくるめく耽溺の時ばかり。
甘く囁かれた言葉は耳の奥で幾度となく甦り、口づけられた感触もいまだ消えずに残っているのです。
わたくしは夫のある身でありながらなんと淫らな女になってしまったのであろうかと、明らかに宮に心を奪われている己に気付くほどに惑乱する浮舟なのです。
そんな浮舟の元に薫君がお越しになるという報せが届きました。
「右近、わたくしはどのような顔で薫さまにお逢いすればよろしいのでしょう」
今にも泣き出しそうに縋る姫君がいたわしくて言葉に詰まる右近です。
「姫さま、どうか落ち着いてくださいまし。此度のことは姫さまの落ち度ではありません。匂宮さまの想いの強さと前世の宿縁ゆえのことですもの。ですが、薫さまに知られたら大変なことになりましょう。いつも通りに振る舞うよう心掛けるのですよ」
「わたくしにそれができると思って?」
「なさらなければ身の破滅ですわ。それにしても姫さまはなんという過酷な運命を背負われたのでしょうか」
右近は姫を励ましながら、女人の立場の弱さ、悲しさに涙を流したのでした。

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