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令和源氏物語 宇治の恋華 第百九十一話

 第百九十一話 翳ろふ(十一)
 
喪も明けぬでは死穢に触れて不吉と言われますが、薫とてどうしても浮舟の死の真相を突き止めずにはいられません。
そもそも、いずれ、などといつも悠長に構えていた自分が浮舟を追い詰めたのではあるまいか、とこの清廉な君は己を苛むのです。
 
春遅い山際に若々しい緑が繁るのをこれほど哀しい気持ちで眺めねばならぬとは。
我が恋路はやはり黄泉へと通ずる戒めの道か。
思えば故八の宮さまをお尋ねしたのは父と母の道ならぬ恋によって結ばれた自身を雪ごうと救いを求めたのであるものを、いつしか大君に魅せられ、惑ひ路に足を踏み込んだ私を御仏はお赦しにはならなかったのだ。
浮舟への懸想で我が心のあさましさがまざまざと露わとなり、信心せよと戒められたか。
 
自問自答しながらに後悔の念ばかりが込み上げて、薫は浮舟を諦められきれないのでした。

宇治の山荘に着くと、馴染みの女房や下人などが薫の訪れに喜びながらも嘆き暮れるのを目の当たりにして、もしや匂宮が浮舟を何処かへ連れ去ったのではあるまいか、という疑念は霧消し、あの恋しい人が本当にもうこの世にあらぬのを思い知らされた薫なのです。
穢れに触れるわけにはゆきませんので薫は邸へ入ることはできません。
懐かしい楠の大樹の元を宿りとして佇む貴公子はまるで物語絵のようである、と右近の君は見惚れてしまいます。
人払いをした薫は右近をじっと見据えました。
「右近、浮舟はどうして死んだのだ。思えばあのように即時葬送というのも合点がゆかぬ。いったいどんな理由あっての死だったのか」
やはり、と右近は身を固くしました。
いつかはこのように問いただされる日が来る覚悟はありましたが、まっすぐと差し込むような君の視線に嘘で抗しきる自信はありません。
弁の尼なども姫の最期の様子をうすうす感じているであろうことからいずれ横死という事実は露見するであろう、なまじ取り繕っては後々厄介なことになりかねまい、と浮舟が消えた朝の様子を伝えました。
 
「浮舟が入水したというのか?」
「はい、そうとしか考えられませぬ。鬼が攫ったとしても何かの痕跡は残ると申しますもの」
薫はあまりの衝撃にしばし言葉を紡ぐことができませんでした。
もしも本当に宮がこの女房たちと口裏を合わせて浮舟を隠したのであればそちらのほうが諦めもつくでしょう。
御仏がもっとも罪障が深いと説かれる恐ろしい自死を選ぶとは、あの意志の弱そうでたよやかな姫君がよくも思い切ったことをしたものだ。
「何かの間違いではあるまいか。近しく仕える者で共に消えた者はおらぬのか?」
「それはどういう意味でございましょう?」
「どこぞの男が連れ去ったのではあるまいか、私から身を隠したのではないか、と聞いておる」
「まぁ、そのようなことはございませんわ。行方知れずの者もおりません」
「私に何も告げず入水などありえようか」
この薫君の言葉に右近は追い詰められました。
気取られているとしても右近の口から浮舟と匂宮のことを明かすわけにはゆかないのです。
今は彼岸に渡られた悲運の姫君の名誉を守らなければならないのです。

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