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紫がたり 令和源氏物語 第百六十八話 松風(五)

 松風(五)

陽が高くなり、ゆるゆると進む牛車に揺られ、二条邸から離れるとすぐに明石の上を想われる君です。
「惟光、あちらの邸はどのような感じだ?」
「は、大井川に面しておりまして、どことのう明石の浜の御殿が思い出されます。しつらえも整いましたので、御方さまも姫さまも快適にお暮らしでいらっしゃいますよ」
明石の上と別れ三年近くの歳月が経っています。
それでも目を閉じればあの人の慎ましげで高貴な姿が脳裏に甦ります。

 ああ、とうとう再会できるのだな。
 小さな姫はどんな様子だろう?
 早くこの手で抱きしめたいものだ。

源氏はまだ見ぬ小さな姫を心から愛しいと感じております。
それはそのまま明石の上を想う心にも注がれて、やはりこの二人の宿縁は並のものではないのでしょう。
物事の機微に敏感で何事も見透かすように優れた紫の上にはそんなところが辛くて仕方がないのです。

夕暮時に源氏は大井の山荘へ到着しました。
なるほど惟光の言うとおりに趣のあるところで、あの明石の上には相応しい立派な邸でした。
「会いに来たよ、愛しい君」
源氏は明石の上を愛情をもって強く抱きしめました。
明石の上は三年前よりもずっと艶やかに輝いておりました。
女性特有のしなやかでまろみを帯びた様子がなまめかしく、涙に濡れた瞳は魅惑的です。
源氏は三年前に紫の上と再会した時のような感慨を思い起こしておりました。
「京に近くなったとはいえ、まだまだ遠い。早く東院に移ってくれれば心が分かれずにすむものを」
「ずっと田舎暮らしの身では、すぐに京というわけにはまいりませんわ」
そこへ乳母が小さい姫を連れてやって来ました。
「おお、姫や。会いたかった。こちらへおいで」
小さい姫はその方が父ともまだわかりませんが、首を傾げたものの、素直な性質であるようで手を伸ばしておとなしく抱かれました。
源氏はその姫の面を見て目を離すことができなくなりました。

 なんと愛らしい姫であることか。

世の人々は葵の上の忘れ形見の夕霧をこそ素晴らしく美しいと褒めそやしますが、それは身分高い大臣家へのへつらいも込められた賛美にすぎません。
身分、生まれは関係なく、これほど尊く清らかな笑みを浮かべる姫はそうはいないでしょう。
もって生まれた品性が滲み出ているようで、まさに大いなる運命を担った姫であると直感したのです。

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