人生でいちばんたくさんの愛をくれた存在を、わたしも守りたいとおもうようになった
親子ならば、家族なら、仲が良くて当然?
そんなことはない。
感謝してることと、好きなことは一緒?
そんなことはない。
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自分の信じていたことが、自分の価値観ではなく親の価値観だった気づく、いわゆる自立の時期。なんだか今まで信じていたことがすべて間違いだったような気がして、強烈に、猛烈に、距離を置きたくなった。
わたしは本当の自分じゃないわたしを、わたしだと思っていたの?そんなわたしを、まわりはどんな目で見ていたの?
いままで正しいと思っていたことが、現実だと思っていたことが、全て箱庭の中の虚構のような気がして、捨てたくなった。
家族は大事。家族としては好き。いなくなって欲しいわけじゃない。経済的に親離れもしてない。だけど、人間として、受け入れられない。10代の終わり、持ち物を自分で選びはじめた私は、家族と物理的に距離をおいた。
きっとわたしのことを理解してもらえないし、理解してほしくもない。外の世界の私がどんな人物かも知られたくない。
親が悩んでいようが、苦しんでいようが、わたしにだって寄り添う余裕はない。
そうおもったから。
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あれから何年経ったのだろう。離れて暮らして、一緒にいない距離感が普通になった。
会えば必ずしていたケンカもしなくなって、だんだんと、人としての家族1人1人の姿も、受け入れられるようになった。
外の世界でどんな暮らしをしているか、ほんのちょっとだけど見せるのも抵抗がなくなってきて、親の外の世界での姿や、人間としての価値観にも興味がわいてきた。
悩んでるんだったら話を聞きたいし、力になれるんだったら手助けしたい。
そんな風におもえるぐらいには、わたしは救われたみたいだ。
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こう思えるようになったのは、大人になったから?べつにそういうわけではないだろう。わたしは結局、お互いに幸せに生きるために影響を与え合える家族を持った、幸運な人だっただけだ。
血がつながっていようが、どれだけ恩があろうが、それが人間同士の関わりあいである以上は、合うも合わないも人の数だけある。
家族だから一緒に住まなければいけないなんてルールはないし、一緒に住むことが幸せでもないし、血がつながってるから愛があるはずなんて迷信だし、感謝していれば情がわくわけでもない。
ただ、遠くに暮らす者同士、それぞれの世界をもって、人生でいちばんたくさんの愛をくれた存在を、わたしも守りたいとおもうようになった。
おいしいごはんたべる…ぅ……。